希少さに本人が気づいていない才能を安く買うとヤバイって話。
「希少さ」っていうのが案外気づきにくいもので。なんでかっていうと僕らの認知範囲に限界があるからだ。
例えばプロスポーツ選手は0.1秒の速さを競う勝負をする。しかし一般ピープルから見れば仮に0.1秒遅くても十分速い、みたいなことになる。人類全体から見れば十分希少なのに、認知範囲が限られているからプロスポーツ選手の中で比べてしまい、俺ってなんて遅いんだ、となる。社会学でいう準拠集団が機能するのは、人類の認知範囲が限られていることによる。
国家はしばしば国民に外国の情報の閲覧を制限する。それも認知範囲を国家という準拠集団に意図的に狭めることに狙いがある。例えば外国では当たり前に享受できている利益が自国にはない、ということが判明すると国家としては危険だ。
準拠集団の当たり前と、その外部の当たり前が乖離していることが、希少性を生み、価値の源泉となる場合がある。
例えば人に親切にするのが当たり前と考える準拠集団に育った個人は、その外部でも他人に親切にふるまうだろう。その結果、親切にしないのが当たり前の集団において、希少な価値ある存在として位置づけられることになる。
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