「ついで」と「隣人愛」の話
地域活動というのは、「世帯内労働の世帯外シェアリング」としての側面がある。
例えばこども食堂なんかが典型的で、世帯内で行われる食事の用意を世帯外で済ますことができる。ある種の労働は、分散させず、統合することで、コストはもちろん増えるが、スケールメリットが効くので、提供できるベネフィットのほうが大きくなる。自治体合併が効率化につながるのと理屈は同じだ。例えば沖縄何かでは伝統的に自治会が幼児園を経営していたりする。子育てという世帯内労働を地域でシェアすることで効率化しているわけだ。専門用語っぽくいうなら、「家族というアソシエーションの代行」をしているわけだ。
そのように考えると、世帯内需要を世帯外で満たすとして、その調達先は地域活動以外にもあることがわかる。それは市場だ。例えば安価な食事を得るだけなら、コンビニでもいい。しかしこども食堂は、そこに情緒的な交流などの付帯サービスがあるので、同じ価格ならその分お得だ。
しかし不思議ではないか。なぜ、本来専業ではない地域活動が、専業であるはずの市場交換に対して有利なのか。
それは、地域活動を、物理的近居に基づく結合生産、つまり「生活の”ついで”」に供給できるからだ。わかりやすいのが、「散歩しながら道路を掃除したり、子どもの見守りをする」みたいな営みだ。もっとも、あくまで「ついで」にやることなので、高度な専門性や恒常性は担保できないし、クオリティに責任を持つこともできない。しかし、その分を差し引けば、安価にサービスを調達することができるようになる。
「ついで」の特徴については以前、こちらに書いた。
結合生産についてはこちらに詳しく書いた。
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