「礼儀正しく時間を奪う行動様式」は、どのように合理的であったか

 こんな記事を読んだ。

会議もそうで、会議室を予約してメンバーのスケジュールを調整する。ビジネスパーソンなら誰もが一度は通ってきたであろうこの流れも、澤氏に言わせれば「コスト」。「外資系から日本企業へ転職した知人に『最近どう?』と様子を尋ねたら、『メッチャ悩』んでいる」という予想外の答えで、その理由を聞くと、考える時間がないのだそう。
 よくよくワケを聞くと、「先月の営業の数字を確認して欲しい」と話を受け「では、メールでお願いします」と返すと「いやいや、あなたにメールで報告などと失礼なことはできません! 部門総出で報告にあがります」と、さながら大名行列のように朝から晩まで時間を奪われているとのことでした。
 澤氏は、そんな彼らに対して「決して悪意を持って行っているのではなく、礼儀正しく時間を奪う」と表現しました。

 持続して成り立っている物事には、一見どんなに不合理に見えても、必ず合理的な理由がある。では、この大名行列スタイルはどのように合理的か。

 まず、私達の社会には、一定の確率で、依頼にあたってはそういう大名行列で行かないと軽視されたと認識して怒り、攻撃してくる人がいると考えてみよう。どいつがそういう認識パターンの持ち主かわからない以上、全員に大名行列するしかない。

 何度かやりとりして「ああ、この人は大名行列しなくても怒らないな」と判断できれば以後はメールでいいけど、そうじゃないなら行列でいくのがデフォルト戦略になる。

 また、メールで報告するだけでは、無視されて欲しい返答をもらえないかもしれない。特に相手のほうが強い力を持っている場合なおさらだ。メールだと、面談に比べて、既読スルーみたいなことが極めてしやすい。既読スルーされると、待っている間こっちは時間を浪費しちゃうわけだ。つまり、こっちの時間を無碍にされるかもしれないのだ。

 この点でも、確実に返答を得るという意味では、メール送って返答待ち、ではなく、大名行列で奪いに行く戦術は有効なんだ。もちろん、ただ行くだけでは「来るな」と言われてしまうから、部門の偉い人も含めて連れて行く。そうすると、無碍に帰れとはいえない。

 部門全員でいくだけのコストを掛けることにも意味がある。「こっちはこれだけの資源を投じているんだから、無碍にするなよ」と言える。いわば、自分の首にナイフを突きつけて「大事にしないと死ぬからな!」と言ってるようなものだ。自分の命を人質にとった脅迫というか。

 その意味では赤ちゃんに似ている。赤ちゃんというのは、自力で餌が取れないので、保護者による配分を必要とする。しかし、赤ちゃんは力が弱いので、保護者に配分を強制することができない。そこで彼らは泣くという戦略が合理的になる。泣いて大きな音を立てれば、周囲の敵に見つかりやすくなる。そうすると自分の命は危ないが、同時に保護者の命も危うくなる。つまり、赤ちゃんの叫びは、自分の命を掛けた自爆テロによって餌の配分を要求する脅しとして機能しているわけだ。

 って考えると、こういう礼儀正しく時間を奪う大名行列戦術が有効になるのは、力の格差が大きい相手とやりとりする場合ということだ。もうちょっと丁寧に言うと、力が大きくても、相手の時間を無碍にするようなことをしない徳のあるプレイヤーが多いならそんな事する必要もないんだけど、こういう戦術が必要になる程度には、力を得ると相手の時間を尊重しない不徳なプレイヤーが多いっていうことだろう。

 時間を奪う行動様式を責めてもこの行動様式は無くならないだろう。合理的だからだ。この行動様式をなくしたい場合、この行動様式を合理的足らしめている背景から変える必要があるわけだな。

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