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地域活動は大学(生)にとってもお世話になっているが、そのパートナーであるはずの大学(生)の事情はあんまり知らない
地域活動は大学(生)にとってもお世話になっているが、そのパートナーであるはずの大学(生)の事情はあんまり知らない
私は、コミュニティ政策と呼ばれるジャンルの研究をしている人間だ。コミュニティ政策とは、平たく言えば、地域住民主体のまちづくり事業の推進を助ける自治体政策のことだといえる。
住民主体のまちづくりにおいて、自治会・町内会を核とした地縁組織による自治活動は欠かせない存在だ。地縁組織は市民自治の器であると同時に自治体行政サービスの末端機関として、欠かせない役割を担ってきた。一方で、とりわけ都市部の地縁組織においては長年、加入率の低下やそれに伴う高齢化と担い手不足が課題となっていた。
この課題の解決に資するための伝統的なコミュニティ政策が、地縁組織へ外部リソースを投入するというものである。外部リソースとは、例えば行政による補助金だったり、地域課題に資する事業を行う企業やNPOといった組織だったりする。そういった外部リソースのもっとも有名なものの一つに学校、とりわけ大学というものがある。
例えば、大学(生)が地域と関わり、課題解決に貢献したり、親密な情緒的関係を築いたという「大学(生)と地域との連携」エピソードはしばしば美談として語られてきたし、大学も地域活動に参加するゼミ活動やボランティアセンターなどの組織的な枠組みを作ることでこういったエピソードの生成を促してきた。
私たちのように地域の立場から(つまり大学の”外”から)は、大学(生)が来てくれること自体は、素直に喜ばしいことである。しかし、大学の中において地域連携がどういう論理で行われているのか、ということは、大学の”外”からはなかなか見えてこない。調べてみると、実は大学と地域との連携というのも、政府による政策誘導が相応に働いた結果生じた面があることや、課題があることがわかってくる。
大学(生)にお世話になりっぱなしなのも申し訳ない。学生を受け入れる地域側としても、連携パートナーである大学や学生の事情やお悩みの背景を多少は知っておいた方が礼節に適うのではないか。
そこで今回は、大学や学生の事情やお悩みの背景を少しでも知る手がかりを得るために、大学の地域連携政策史を概観することにした。
大学地域連携政策にもバージョンがある
まず、コミュニティ政策における大学の地域連携政策というものは、突然出現したものではなく、段階的に表れたこと、そしてその内容もトレンドの中で段階的に変化してきたものであることは指摘しておきたい。
例えば西川(2022)は大学の地域連携政策のトレンドを大きく5つの段階(地域連携1.0~5.0)に分けて整理している。これはおおまかに時期区分と連動するが、時期区分そのものというよりは、その時期に出現した主要な地域連携概念の区分というべきだろう。この区分を手掛かりとして解説するところから始めよう。
大学地域連携1.0(セツルメント運動)
大学地域連携2.0(エクステンションとサービスラーニング)
大学地域連携3.0(コーディネーター)
大学地域連携4.0(競争的資金による誘導、直接的貢献)
大学地域連携5.0(アクティブラーニング、COC、地方創生)
大学地域連携1.0(セツルメント運動)
時は19世紀までさかのぼる。当時の大学は通俗学術講談会や、講義録発行(いわゆる通信教育)、校外生制度などの形でサービスを社会に提供していた。
この当時の大学の役割として先鋭的だったのは、セツルメント運動である。1870年代のイギリスで、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学の学生が社会的困窮度の高い地域に住み込んで生活の向上を目指す運動を行ったのが始まりと言われている。セツルメントとは、貧民街に学生の拠点として作った施設「隣保館」のことを指す言葉だ。当時の学生たちはボランティアとして医療相談や法律相談、学校に行けない子どものための教育事業を行っていた。19世紀イギリスの大学というのは、誰でも入れるものではなく、国教徒に限られているなどクローズドな組織であった。しかし産業革命によって新しい中産階級が勃興し、大学開放を求めた動きが背景にあったと言われている。
セツルメント運動はやがて方々に飛び火していく。まず1889年、ソーシャルワーカーのジェーンアダムズがイギリスのトインビーホールを視察した経験から、アメリカのシカゴで「ハルハウス」活動開始する。また、1891年には宣教師アダムズによって日本に輸入され、岡山博愛会が活動を開始している。1923年に起こった関東大震災の折には、東京帝大で「学生救護団」が結成されている。これが後に「帝大セツルメント」へと発展していく。1930年には京都帝国大学学生隣保館が始まっている。敗戦後、日本においては社会主義的な思想の影響を受け、共産党を中心に継続されていくことになる。1955年には全国学生セツルメント連合(全セツ連)が結成される。しかしこういった運動はどうしても豊かな時代には成り立ちにくかったらしく、このあと、高度成長期を経て急速に鈍化が進み、1988年には全国学生セツルメント連合(全セツ連)の解散を宣言し、活動が終息していくこととなる。
大学地域連携2.0(エクステンションとサービスラーニング)
この時期、大きく二つの概念が登場する。エクステンションとサービスラーニングである。
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