「社会的なネットワーク」とは、「もともと一体だった時の記憶の残像」である説と、オンライン会議は「とろけるような一体感」を生み出せるのか、という話。
こないだ「あ、そうか」と気づいたことがあって。それは人間同士の関係、つながりのことなんですね。ネットワークともいいますけど。これって、一体なんだろうと思っていて。
で、ふと気づいたのが、そうか、ネットワークっていうのは、「もともと一つだったものが別れた残像」として見えるんだな、ということで。例えば、円形のピザから1ピースを持ち上げると、チーズの糸が残るじゃないですか。それなんじゃないかと。
そういうイメージで捉えると、「ネットワーキング」という言葉がなんだか奇妙に聞こえていた理由がわかる気がします。バラバラのピースのピザを糸で結びつけるような奇妙さというか。ほしいのは「びよーんと美味しそうに伸びるチーズ」であって。で、それは「接続」ではなく「分断」によって生じるんですね。
だから、まず必要なのは、名刺交換的なつながり作りではないんですよね。そういう不自然な営みは、儀礼としては必要かもしれないけど、有効に機能するネットワークとして作用しない。じゃあ何が必要なのか。ピザの例えでいうなら、まずみんなで「とろける」体験なんですね。
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