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地縁であろうが志縁であろうが、まちづくり組織が担い手不足になっている背景の話。

1.まちづくりの慢性病としての担い手不足

 コミュニティ政策は、住民参加のまちづくりの十全な実施を助ける行政施策と定義されています(広原盛明、2011『日本型コミュニティ政策 東京・横浜・武蔵野の経験』)。

 じゃあ住民参加のまちづくりにおいて、公的な支援を必要とする課題ってなんだというと、よく言われるのが「担い手不足」ですね。よく知られるように住民参加のまちづくり活動は、地域住民のボランティア活動に強く依存していますが、ボランティア活動に大量の時間を投入できる人材は必ずしも多くはないわけです。

 それゆえ担い手不足は恒常的な課題として人々を悩ませているんですね。特にオーソドックスな地域組織をどうエンパワメントしていくか、ということは現場の実践者や行政職員、研究者にとっても大きな関心としてありました。こちらも参照ください。

 この課題については、様々な解決の可能性が探られてきましたが、特にエポックメイキングな出来事だったのは、1995年の阪神大震災の復興過程とその後のNPO法の成立過程で見られました。

 後に「ボランティア元年」と呼ばれるこの時期、地縁とは異なる志の縁、すなわち「志縁」を契機に組織を作り活躍する人々の存在が可視化されたことは、まちづくり活動の担い手不足問題の解決に一つの可能性を大いに予感させたことでしょう。オーソドックスな地縁組織の人手不足を、これら志縁組織がカバーできるのではないかという素朴な期待は、少なくない人々が抱いたのではないでしょうか。

2.「地縁⇔志縁」というまちづくりプレイヤーの配置図

 しかし、この二つの組織の融和は、当時の人々の期待通りに進むものではなかったようです。今野裕明が『インナーシティのコミュニティ形成―神戸市真野住民のまちづくり 』(2001)の中で、いわゆる「地縁団体」と「志縁団体」との融和は90年代の課題であるという認識を示していましたが、「課題」と呼ばれる程度にこの二者の融和は当時から困難なことと認識されていたようです。

 この「地縁⇔志縁」の対立軸で説明される「まちづくりプレイヤーの配置図」は、実際に一定の説得力を持ち、場合によってはコミュニティ政策を計画する際の根拠ともなってきました。例えば京都市では、地縁団体と志縁団体が共同事業の実施にあたってお金を持ち寄れば、それを同額を京都市が補助するというマッチングファンドを実施しています。これなどは、補助金獲得を方便として、地縁と志縁の融和促進を目指したコミュニティ政策の一例といえるでしょう。

 このように、「地縁⇔志縁」の対立軸で説明される「まちづくりプレイヤーの配置図」は、90年代、あるいはゼロ年代なかごろまでは、もしかするとある程度有効な見通しだったかもしれません。

3.「地縁か志縁か」構図の老朽化

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