ミルフィーユ事件

最近自分で考えさせられる事件があったため、記録、共有したいと思う。

自分は製菓学校に通っている現役製菓学生だ。
週3でお菓子を作り、持って帰って、家族みんなで食べるという生活を半年ほど続けている。

クラスメイト同士で「先生が作ったお菓子を誰が持って帰れるのか」で諍いになることもある。
今まではじゃんけんで勝った人が持って帰れるシステムをとっていたのだが、事件当日はそうではなかった。

いや、「そうではなかった」だと語弊が生じる。確かにじゃんけんはしたのだが、
①公平に持って帰れる機会が生徒で自主的に設けられなかったこと
②利己的な行動をとる人が出てしまったこと
③それを咎める人が出なかったこと
でいざこざが起きてしまったのだ。

クラスメイトは36人ほどいる。その日は行事の説明会とかで、示範のケーキを持って帰られる人を決めるためのじゃんけんのタイミングで約半数のクラスメイトが離脱してしまった。
残された約18人で全てを分けるのはどうかと思い、半数のケーキを賭けたじゃんけんを開催した。

ここまでは問題なかった。

しかし、説明会から帰ってきた人が我こそはというかのように残りの示範のケーキを自分の容器に入れ、颯爽と持って帰ってしまったのだ。話し合いもなしに。

当然あとからわらわらと帰ってきた人は「なぜ示範分のケーキがないのか」「誰が持ち帰ったのか」と驚き、犯人探しが始まった。

女子の可愛い食べ物に対する執着は恐ろしい。特に製菓学生という「示範の味を知りたい」欲に駆られている人は尚更だ。
「もう誰も信じられない」と人間不信になりかける人、「先生ーちょっと聞いて下さいよー」とか言って愚痴っぽくチクる人、「まじありえん」とか言って怒りを顕にする人…

説明会に参加せず、のんびりとじゃんけん大会前半戦で見事に完敗した自分は完全なる傍観者の立場だ。

友達と帰っている時でも事件の話でもちきりだった。
「もっと平和でいい方法あったよね」とか
「ケーキをゲットできなかった人もあそこまで過剰に反応する必要はないよね」とか
「次の実習の朝が険悪な空気で始まりそうで怖いね」とか。

家に帰ってからもどうすればよかったのか、そもそもクラス全体のマインドのあり方がどうなのか、特技「セルフ反省会」の自分が考えてみた。

正しい「じゃんけん大会」のあり方

示範分のケーキを持って帰る人を決めるためのじゃんけん大会は、食べたい人が公平に持って帰られるチャンスが与えられる機会、だと捉えている。
今回の問題点は「ケーキを説明会参加者分と説明会不参加者分とに分けてしまった」ことではなく、「公平に持って帰る機会もなく終わってしまった」ことなのだ。ケーキを説明会参加者分と非参加者分に分けずに、全員が揃ってじゃんけんをしたところで、勝って持って帰られる確率が大きく変わるわけではないからだ。

どういうことかというと、「30人で10個のケーキを奪い合うとき、じゃんけんでゲットできる確率」と「15人で5個のケーキを奪い合うとき、じゃんけんでゲットできる確率」はどちらも3分の1と等しい、ということである。

よって、この事件は「半分に分けたことによって起こったのではない」ということがわかる。

では、どうすれば公平に持って帰る人を決めることができたのか。
答えは簡単で、先に説明会から帰ってきた人があとから帰ってくる人たちを待てばいいだけだと思うのだ。
帰ってきた人たちが余っているケーキを見て、「やった!ケーキ余ってるからもらお〜」ではなく「ケーキ余ってるけど他のみんなも食べたいのは同じだよね〜」という考えに至ることが大切なのだ。
説明会から帰ってきた人であり、示範分を持って帰りたい人全員でじゃんけんをして決めればよかったのではないか。

そもそも師範のケーキって…

先生が作ったケーキって「持って帰ることができて当たり前」ではない、ということを理解しておかなければならなかったのだな、と今更ながら思う。極論、示範のケーキは先生が「今日作ったお菓子、私の大好物だから持って帰るねー」と言って全部持って帰っていったとしても、生徒である私たちがそのことに対してとやかく言う筋合いはないのだ。

先生が私たちのために残してくださったミルフィーユ。その優しさの塊のためにトラブルが起きて、悲しむ人が出てくる結果となってしまったこの事件で、私たちはいかに自分のことしか考えていない人間なのかを自覚したと同時に、他人を慮り、行動に移す大切さを痛感した。





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