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老人とカエル

「ひと雨来そうだな。」見回りボランティアの詰め所の窓から覗くと、空には厚い雲がたちこめていて、老人は半透明の雨ガッパを羽織って詰め所を出た。
 見回りボランティアというのは、地域の高齢者有志が当番制で地域を巡回する、軽い運動を兼ねた社会活動だ。公民館にある見回りボランティアの詰め所は、体(てい)の良い寄り合い所になっていた。とはいえ、下着ドロボーを発見したり、遅くまで遊んでいる子供に声をかけたり、徘徊老人を保護したり(それはメンバーの顔見知りだった。)それなりの実績もないわけではなかった。
 雨は老人が詰め所を出るとすぐに降りはじめた。ボランティアのロゴ入りキャップの上に雨ガッパのフードを被ると、ボボボボボと雨音が激しく鳴った。
 老人がゾウの滑り台とキリンのブランコのある公園を通りかかると、土砂降りの雨の中で、きみどり色の雨ガッパを着た女の子がブランコを漕いでいた。
「雨なのに帰らないの。」老人が近寄って声を掛けると、女の子は驚いてブランコを漕ぐのをやめ、ピョンピョンと跳ねるようにして駆けていった。
 女の子が行ってしまうと、まるでそれを待っていたかのように雨が上がり、公園に出来た大きな水たまりに水色の空が反射した。
 その夜老人は久しぶりに夢を見た。
 夢の中では池に浮かんだ蓮の葉の上に、大きな立派なカエルと小さなきみどり色のカエルが並んで老人を見上げていた。
「本日は娘がごやっかいになりまして、誠にありがとうございました。」
大きなカエルが深々と頭を下げた。小さなカエルはじっと動かなかった。
「娘はまだ世間知らずでして、すぐに人間の子供の真似をしたがって困ったものです。」
大きなカエルはそういうと、ポチョンと池に飛び込んだ。小さなカエルも飛び込んだが、泳ぎ方がぎこちなく、なかなかまっすぐ進んで行かなかった。
 老人は、小さなカエルは公園にいた女の子に違いないと思った。
 それから何日かして、老人が自宅のワンルームのアパートから外を眺めていると、唐突に土砂降りの雨が降りはじめた。老人はその日見回りボランティアの当番ではなかったが、なんだかまたあの女の子がいるような気がして、公園へ行ってみることにした。
 老人の思ったとおり、公園ではきみどり色の雨ガッパを着た女の子がブランコを漕いでいた。老人に気がつくと、女の子は大きな口を開いて笑いながら、より一層強くブランコを漕ぎはじめた。ところが勢いがつきすぎてしまったのだろう、突然女の子は顔をこわばらせ、こんどはワンワンと声を上げて泣きはじめた。
 老人はあわててブランコの鎖をつかみ、ゆっくりとブランコの揺れを沈めた。ブランコが止まってもしばらく女の子はシクシクしていたが、やがてまた口を大きく開いて老人に笑いかけ、ピョンピョンと跳ねるようにして駆けていった。
 女の子が行ってしまうと、やっぱりまた雨は嘘のように上がってしまった。
「またしてもうちのバカ娘がお世話になってしまい、誠にありがとうございます。」
蓮の葉の上で大きなカエルが深々と頭を下げた。小さなカエルはあいかわらず動かない。
「実は本日は、お礼方々お別れのご挨拶に参った次第なのでございます。」
そういって大きなカエルは空を見上げた。
「まもなく大きな台風がやってまいります。わたしたち親子は難を逃れるために、もっと大きな公園に疎開することに致しました。」
老人は疎開とは大袈裟だなとおもったが、大きなカエルは老人の考えに相槌を打つように大きく頷いた。
「私達にとりましては、台風をひとつやり過ごすだけでも命懸けなのでございまて、ましてや昨今の台風は年々勢いを増しており、わたしたちも警戒を強化しているのでございます。」
老人は風に吹き飛ばされ、空に舞い上がるカエルの親子の姿を想像して身震いした。
「あなた様もどうかお気をつけになってください。」
大きなカエルはそういうと、ポチョンと池に飛び込んだ。小さなカエルもそれを追いかけるようにして飛び込んだ。小さなカエルは以前より少し泳ぎが上達したようであった。
 暫くすると大きなカエルの予言どおり、その年最大の台風が発生した。台風は意地悪い進路をとりながら各地に甚大な被害をもたらし、ゆっくりと老人の住む街に近づいて来た。老人は市役所の防災無線を聞いて、近くの小学校の体育館に避難することにした。
 突風が吹いてユサユサと揺れる体育館の中で、老人は一晩中カエルの親子のことを考えていた。
(第64回阿刀田高のto-be小説工房 選外佳作/一部修正)

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