鬼の涙
鬼の涙(1777文字)
僕に出来ることはここまでだ、あとは自分の力でしっかりやりたまえ。老婆心ながらひとつ忠告しておくならば、人間の中にも鬼が棲んでいるということだけは忘れないように。なにしろ君はあまりにも鬼らしくなさ過ぎるからね。幸運を祈っているよ。青鬼
青鬼の置き手紙を読んだ赤鬼はようやくすべてを理解した。「ありがとう、青鬼くん」
突如現れて大暴れした青鬼から村を救った赤鬼を、村びとは大歓迎した。歓迎会で村長が祝辞を読みあげると、主賓である赤鬼の前にはサインを求める村娘の長い列が出来た。
「いやあ、僕は字が下手だから」
赤鬼のもともと赤い顔がいっそう赤くなると「かわいいー」村娘たちから声が上がった。
「相撲を一番お願いいたしやす」
威勢の良さそうな若者が赤鬼に声を掛けた。村の横綱と異名をとる力自慢の弥助である。「弥助負けるな!」「赤鬼さんがんばって!」村びとから声が掛かった。
「ハッケヨーイ、ノコッタ!」
行司になった村長の掛け声とともに赤鬼と弥助ががっぷりと組み合った、と思った瞬間「ふん!」赤鬼が気合を入れると、弥助の体はころころとサイコロでも転がるように、土俵の外に弾き飛ばされてしまった。「赤鬼強えー」「すげー」「かっこいいー」村びとから歓声が上がると、赤鬼はまた赤い顔をよりいっそう赤くして照れくさそうに笑った。
それから赤鬼は毎日村へ顔をだすようになった。とはいえ、ときおり村びとから力仕事を頼まれるほかはたいしてすることもなく、大抵は子供たちにせがまれるまま、日暮れまで鬼ごっこの鬼になって遊んでいた。
やがて村祭の季節が近づいてきた。今年は僕もあの村祭りの輪に入れるのだ。そう考えると、赤鬼は嬉しくて夜もなかなか寝付けなくなるほどであった。ところがである。
「赤鬼はん、ちょっとお話が」
子供たちと鬼ごっこをしていた赤鬼に村長が声を掛けた。
「はあ、なんでしょう」
「じつはその、えらい申し上げにくいんですねけど、祭りの日はちょっと遠慮してほしいんですわ」
「え、遠慮?」
「いやあ、さすがに縁起悪いんちゃうかあとかいう人がおりましてなあ」
「そ、そんな…。いや、そんなの全然構いませんよ。あはははは」
そういって平気なフリをした赤鬼であったが、本当はショックのあまりその日はそれからどこをどう歩いたのか、気がつくと立ち飲みの赤ちょうちんで普段はあまり飲まない酒を飲んでいた。
「おや、赤鬼さんじゃありやせんか」
「ああ、君はいちゅかの」
弥助であった。
「なるほど、そりゃいけねえや」ずっと黙って赤鬼の話に相槌を打っていた弥助は、親しみを込めた様子で赤鬼の肩に手を置いて囁いた。「兄貴、ひとつ気晴らしに面白い所へご案内いたしやしょう」
「おもしりょいとこ?」
赤鬼が毎晩やくざ者と遊んでいる。そんな噂はすぐに村中に広まった。赤鬼に対する村人の態度は急によそよそしくなり、親から言いつけられたのだろう、子供たちはもう赤鬼のそばには近寄って来なくなった。
そんなある晩いつものように賭場に姿を現した赤鬼は、弥助の姿を見つけて駆け寄った。
「僕はいったいいつまでこんなことをしなくちゃいけないんです」
実は、弥助に連れられて初めて賭場に来た晩、赤鬼は大負けしてしまい、その借金を返すために用心棒として働かされていたのである。
「兄貴、ちょっと顔貸してもいまひょか」
弥助は赤鬼を連れて賭場から出ると、懐からすっ匕首を抜き、赤鬼の眼の前で揺らした。
「兄貴、あんさんの指もろうても、こっちは一文にもならしませんのやけどな。もしどうしてもいわはるんやったら、いまここできっちり落とし前つけてもろてもええんでっせ」
弥助はそういって、いままで見せたことのないような恐ろしい眼で赤鬼を睨みつけた。
「そ、そんな。ぼ、僕はただ」
ごちん。突然そんないやな音がして、弥助の体がへなへなとその場に崩れ落ちた。するとそこに金棒を持った青鬼が立っていた。
「あっ、あっ、青鬼くん」
「心配で来てみたんだが、案の定だね」
「ぼっ、僕はただ、むっ、村のひとととっ」
赤鬼は目を真っ赤に腫らしてしゃくりあげた。
「わかったからもう泣くなよ、赤鬼くん。まったく君って鬼は…」
物音を聞きつけた数名のやくざ者が賭場の外に出てみると、そこにはただ無惨に変わり果てた弥助が、薄暗い提灯の灯りに照らされ横たわっていた。(了)