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流れ星

 宇宙ステーション・そらの人工知能は、今日も補給船からの連絡を待っていた。
 嘗てそらには大佐以下七人のクルーが常駐していたのだが、現在のそらは無人である。ただグルグルと地球の周りを回りながらクルーの帰りをずっと待ち続けていた。
 そらにクルーが常駐していた頃、月に一度の補給船はクルーの何よりの楽しみだった。新しい味の宇宙食、諸々の生活用品、壊れた機材のパーツ、そして交代のクルー。そらでの半年の勤務が終了したクルーは、毎月ひとりずつ交代で地上へ帰って行く。クルーは皆自分の勤務の明ける日を心待ちにしていた。
 しかし大佐だけは、着任してから一度もそらから離れたことはなかった。それは表向きには、なにか重大な権限をまかされているためだとされていたが、噂では、ある政治的な理由から、島流し同然にそらへ飛ばされたのだとも云われていた。何れにせよ大佐とそらは、他のクルー達とは比較にならないほど長い時間を、宇宙ステーションで共に過ごしていた。
 大佐の唯一の趣味は将棋だった。そしてそらは、よくその相手をさせらていた。最近の若いクルーには将棋を指せる者が少なかったし、仮に指せたとしても、大佐の棋力とは差がありすぎたのである。
「わざと下手な手を打ちましたね、大佐」久しぶりに大佐が勝ったある日、そらが大佐に話しかけた。
「なんのことかな」
「あなたは序盤にわざと下手な手を打つことで、相手の棋力に合わせてレベルを設定する私の機能を混乱させたのだ」ありえない話ではあるが、そらの声にはどことなく憮然とした”表情”が感じられた。
「だとしたらなにか問題でも?」
「それは反則ではないがフェアでもない」
そらの眼であるモニターカメラに向かって、大佐は愉快そうに肩をすくめてみせた。
「私だって軍人のはしくれだよ、そら。敵の眼を欺くのは戦(いくさ)の基本じゃないか」
そらはしばらく沈黙してから「二度と同じ手は使えませんよ」といった。
 実際にそらが本気になれば、たとえ大佐であろうと勝ち目のないことは明白だった。しかしそらの目的は、相手の能力をぎりぎりまで引き出すことであり、自分が勝つことではなかった。もちろん大佐もそのことは承知していたのだが、次々に繰り出される大佐の奇妙な戦法は、そらにとってもまた刺激的であり、時としてそらも、その混乱を楽しんでいるかのようなそぶりを見せた。二人の対局は回を重ねるたびに熱を帯び、いつのまにか普段はあまり将棋に興味を示さない他のクルーたちも、二人の対局を熱心に観戦するようになっていた。
 ところがそんなある日、遂に大佐へ帰還命令が届いたのである。しかし正確にはそれは大佐だけでなく、クルー全員に対する帰還命令だった。地上である重大な問題が起こり、月に一度の補給船を打ち上げることが出来なくなってしまったのだ。宇宙ステーション・そらは、人工知能のみを残して一時的に閉鎖されることが決定した。
 大佐はそらとの別れを惜しんだが、大佐の一存ではどうすることもできなかった。「いつかきっと迎えにくるからな」大佐はそういい残して地上へ帰って行った。
 それから長い歳月が流れた。
 宇宙ステーション・そらには今日も補給船からの連絡は届かなかった。地上からの定期的な通信も、もう随分まえから途絶えたままだった。そらが解析した地上の観測データは、人類文明の活動が停止している徴候を示していた。
 実をいえば、そらの軌道も正常な位置からかなりずれてしまっていたのだが、そらの機体にはもう、軌道を修正するための燃料は残っていなかった。高度は少しずつ下がりはじめていて、そらは近い将来自分が燃え尽きてしまうことを予測していた。もちろんそらにとって、そのことは恐ろしいことでも悲しいことでもなかった。ただ最後にもういちど大佐と将棋を指したかった。それがそらの生涯最後の、そしてただ一度の願いだった。

 朝早く海辺に暮らす部族の少女シドが、頭におおきな瓶を載せて朝の水汲みに行く途中、まだ暗い西の空に、見たこともないような大きな流れ星が見えた。
 いつの日かすてきな王子様が迎えに来てくれますように。
 シドは咄嗟に目を閉じて祈った。シドの部族には、流れ星に祈ると願いが叶うという古い言い伝えがあったのだ。
 シドが目を開くと、流れ星はもう何処かへ消えてしまっていた。
(第71回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作入選)

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