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行進曲

サル、ゴリラ、チンパンジー
 確かあれは古い戦争映画のテーマ曲だったのではないだろうか。病院の待合室でモニターに表示されている順番待ちの番号を眺めていると、小学校の運動場で何度も何度も繰り返し聞かされたあの行進曲が蘇ってきた。
サル、ゴリラ、チンパンジー
子供だった私たちはその行進曲にそんな歌詞をつけて笑っていた。
 いったい何のためにそんなことをするのか当時は全く理解できなかったのだが、私の通っていた小学校では毎週月曜と木曜の朝と土曜の下校時間、運動場を全校生徒で行進することになっていた。六年一組の先頭だった私は全学年の一番最初に行進を初め、一年五組の最後の子が整列を終えるまで、ずっと足踏みをして待っていなくてはならなかった。そのことが私は少なからず不満ではあったのだが、実はクラスメートたちと一緒に運動場を行進すること自体はそれほど嫌いではなかった。むしろ、角を曲がる時に内側の生徒は足踏をして外側の生徒が回り切るのを待ち、横四列に並んだ直線のラインが乱れないようにする、そんな連携プレーが楽しくさえあった。
右向け右。左向け左。両手を広げて間隔を広げ。回れ右。
 私たちは先生のそんな号令にしたがって自由自在に変形する魚の群れだった。
サル、ゴリラ、チンパンジー
 結局私たちはそうやって行列を作ることに慣らされていったのだ。魚の群れや蟻の行列がそうであるように、私たちのこの社会も様々な行列によって組み立てられているようなものだ。ちょうどこの待合室で順番を待っている私たちのように。
「タカハシさーん。タカハシハジメさーん。」
私の名を呼ぶ声に気がついてモニターを見ると、私の手に握られた番号札と同じ番号が点滅して、私の順番が回ってきている事を示していた。
 私は受付の看護師に慌てて手を振って合図をし、診察室に通じるドアに向かった。待合室には順番待ちの番号が一つ繰り上がったことを知らせる柔らかなチャイム音が響いた。
「なにか特に変わったことはありませんか。」
ドクターはそのがっしりとした体格とは不釣り合いな穏やかな声をしている。
 私は数年前にある大病をして内臓の一部を切除した。それ以来三ヶ月に一度、こうして経過を確認するために通院しているのだ。
「検査の結果も問題ないようですので、またいつもの薬を出しておきますね。」
ドクターはカルテに目を落としたままそういうと、銀色のボールペンでサラサラと何かを書き込んだ。
 病院の廊下は水色に塗られていて、そこにはいろんな場所へ迷わず移動するための導線が、いくつかに色分けされて引かれている。受付兼薬局のあるロビーへ行くにはオレンジの線を辿ってゆけばよかった。廊下には他にもムラサキとグリーンの線が引かれていて、角を曲がるたびにそこに別の色の線が加わったり、無くなったりした。しかしロビーに近ずくにしたがってそれらの導線は増えて行き、水色の廊下にオレンジ、ムラサキ、ピンク、グリーン、イエロー、シロ、ブルーといくつもの線が集まると、それはまるで廊下に描かれた虹の上を歩いているようだった。
 廊下に描かれた虹は病院のロビーにある受付兼薬局で終わっていた。私は受付の発券機で順番待ちの番号札を受け取ると、ロビーに並べられた長いすに腰掛けた。
 結局私たちはいつもこうやって一つの行列から別な行列に移動しているだけなのだ。薬を受け取る行列。家に帰るためバスや電車に乗る行列。仕事や学校に向かう行列。そしてそこから帰る行列。何かを受け取る行列。受け取った何かを差し出す行列。ひょっとすると命の長さも決まっていて、私たちは自分の寿命の順番に生まれた時から行列を作って並んでいるのかもしれない。
サル、ゴリラ、チンパンジー
 私は天国へ掛かった虹の橋を行進してゆく長い行列を思い浮かべた。その行列は天国にたどり着き、さらにどこまでも続き、やがて再び地上に生まれ落ちる順番待ちの行列に続いている。
サル、ゴリラ、チンパンジー
 そしてまた新たに人間に生まれ変わった私は、またしてもあの行進曲に合わせて運動場を行進するのだろうか?
サル、ゴリラ、チンパンジー、人間。
 そういえば生まれたての赤ん坊はサルみたいだな。
 そこまで考えたとき、ロビーに柔らかなチャイムが響いて、順番待ちの番号がまた一つ繰り上がった。

2020年3月公募ガイドtobe小説工房投稿。

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