回文ショートショート・サンタクロースの実存
呼ぶよ。トナカイ、行かなと。サンタさんサタンさと。仲いいかなと。呼ぶよ。
サンタクロースは煙突から家の中に入ってくるという話にはあまり現実味がなく、そのことがサンタクロースの存在を否定する根拠とされるケースがまま見受けられるが、いうまでもなくそれは間違いである。一体どういうわけでそのような話が広まってしまったのか、いまとなっては確かめようもないのだが、あるいはそのような荒唐無稽なストーリこそ、サンタクロースという存在の神秘性と非合理性を受け入れるために人々によって生み出された、一種の都市伝説なのかもしれない。
ではいったいサンタクロースはどの様にして各家庭の子供部屋へ侵入し、子供たちの枕元にプレゼントを置いて立ち去るのか?そのことを説明するには、まずサンタクロースという仕事がいかに過酷なものであるのか、という話から始めるのが順当というものだろう。
「ホーッ!」
サンタクロースの掛け声に合わせて振り下ろされたムチがトナカイの背中を打つ。8頭立てのトナカイの引くソリは、ゆうに2tトラックの荷台ほどはあるだろう。トナカイの鼻からモクモクと真っ白い息が吐き出され、ソリがゆっくりと滑り始める。
「ホ―ッ!ホ―ッ!」
サンタクロースのムチがトナカイの闘争心を掻き立て、ソリは徐々にそのスピードを上げてゆく。
サンタクロースとトナカイに与えられているのは、クリスマス・イブの夜更けから夜明けにかけた数時間に過ぎない。そのたった数時間のために、彼らは半年以上前から入念な準備作業に入る。
夏の間、トナカイに求められるのは走ることと食べることである。大量のクリスマスプレゼントを短時間で配るには、スピードと持久力が要となる。引くのは2tトラック一台に匹敵するソリだ。そのためトナカイは、夏の間はとにかく走り込み、大量の葉っぱを食べてスタミナを蓄えなくてはならなかった。
そんなトナカイのトレーニングは、ソリを操るサンタクロース自らによって行われるのが常である。サンタクロースは自分のソリを引くトナカイのコンディションを知り尽くし、クリスマス当日に合わせトナカイを入念に仕上げてゆく。
「Son of a bitch!」
過酷を極めるトレーニングに、トナカイ達は時としてそんな悪態をつきながらも、歯を食いしばってメニューをこなしてゆく。統計によればサンタクロースのソリを引くトナカイは短命であることが知られており、文字通り彼らは命を削ってクリスマスプレゼントを運んでいるといえる。それは動物虐待ではないか?近年、動物愛護団体からはそのような抗議の声も上がっている。しかし彼らトナカイが、それでも尚サンタクロースのソリを引き続けるのは、彼らトナカイとサンタクロースは切っても切り離せない一つのチームであり、サンタクロースもまた、彼ら以上に厳しいトレーニングを自らに課していることを理解しているからであろう。
サンタクロースがクリスマス以外の364日をどのように過ごしているのか。その謎に満ちた生活は一般には殆ど知られることはない。それはクリスマスというイベントの持つ祝祭のイメージに水を注してはならないという配慮であると同時に、クリスマスが秘儀的な宗教儀式であるという側面を世間の目から覆い隠す、カモフラージュのためでもある。いずれにせよサンタクロースは、優雅に湖面を泳ぐ白鳥であり、その人懐っこい笑顔に隠された水面下では、水掻きが休むことなく水を蹴っているのだ。それは生半可な仕事ではないのである。
まず第一に、サンタクロースになるには非常に厳しい試験にパスしなくてはならない。彼らに要求されるのは、高邁な理想と強靭な肉体、そしてそれらを支える強い精神力だ。それらを兼ね備えて初めて、彼らはサンタクロースとしての資格を与えられ、その証として授けられるのがマスターキーなのである。
話はここで冒頭の疑問に戻る。つまりこのマスターキーによって、サンタクロースは世界中のどんな家の玄関も開けることができるようになるのである。それが例え国家元首だろうが、世界的なロックスターだろうが、サンタクロースにはどんな家にでも玄関から自由に出入りできる権限が与えられているのだ。そのような権限を持つサンタクロースという資格がどれほどのものか、ぜひ想像してみてほしい。それこそ彼らがサンタ、つまり聖人と呼ばれる所以なのである。
サンタはまずマスターキーによって玄関から家の中に入る。問題はここからである。基本的にはサンタが各家庭に侵入するのは、人々が寝静まった夜更けということになっている。つまり家屋内は消灯されており、常夜灯などがついている場合を除き、全くの闇である場合も少なくない。なおかつ、非常に限られた時間内に、子供部屋で寝ている子供たちの枕元まで辿り着かなくてはならないのである。そのためにサンタクロースは、まず各家庭の間取りを徹底的に頭に叩き込む。その上で、例え目をつむってでも子供部屋に辿り着けるように、何度もイメージトレーニングを繰り返すのだ。それを担当する各家庭全てに対して徹底的に行うのである。もちろん急な模様替えや部屋割の変更などの事態も十分予想されるわけで、そのような場合の対応力も求められることはいうまでもない。サンタクロースは年間を通じてそのようなトレーニングにひたすら打ち込んでいるのだが、それでも尚、それは決して充分な時間であるとはいえない。
そんな中、近年大きな問題となっているのが宵っ張り人口の増加である。そもそもサンタの存在は、社会通念上は見えてはならないモノであり、サンタもそのようなモノとして存在している。たまに寝ぼけた子供に目撃されることがあっても、それは”夢でも見た”のだとして受け入れられて来た。もちろん夜更しする大人は昔から居たわけだが、たとえ彼らの視界にサンタが映ることがあったとしても、子供の場合と違って、それは見えないモノとして見る社会的な習慣によって見えていなかったのである。それは社会という集団を形成する人間にとって決して難しい作業ではないのだが、そのことが人々の心に軽い心理的な抑圧、トラウマを植え付けることも、また避けることのできない事実なのであった。
近年の宵っ張り人口の増加は、すなわちそのような潜在的な抑圧が増幅される原因となっている。つまり個人レベルでは無視できる程度の抑圧も、その数が集まると増幅され、より大きな社会的な抑圧として再形成されてしまうのだ。そしてそれこそが、現代社会から寛容さが失われつつある問題の根本原因なのである。
そのトラウマを開放するためには、サンタクロースの存在という隠された真実を白日のもとに明らかにするしかないのだが、そのことは同時にサンタクロースの存在を抹殺し、彼らを単なる宅配業者にしてしまい兼ねない危険をも孕んでいる。もし仮にそうなった場合。この世界から”本当に”サンタクロースが存在しなくなってしまった時。私たちの社会生活にどのような影響が及ぶのか、現時点では殆ど何も分かってはいない。それは我々文明人がいまだかつて経験したことのない、まったく未知の領域なのである。
よぶよとなかいいかなとさんたさんさたんさとなかいいかなとよぶよ
(2021年1月noteで公開)