帽子の似合う叔父さん
母の叔父に当たる吾郎叔父さんは、いつも贔屓のチームの野球帽を被っていたので、子供の頃、私は叔父さんのことを帽子のおじさんと呼んでいた。比較的近所に住んでいた叔父さんは、父親のいない私を気遣ってか、頻繁に我が家に遊びに来ては、父親代わりに私の遊び相手になってくれたものだった。
いつもは野球帽を被っていた叔父さんだったが、葬式や結婚式など少しかしこまった集まりのある時は、黒いニット帽を被っていることもあった。ただ一度だけ、外国の探偵が被るような帽子を被って家に遊びに来たことがあり、私がゲラゲラ笑うと「やっぱり変だよね。」と照れくさそうにいって、次に来たときにはまたいつもの野球帽に戻っていた。
私は母に「叔父さんはどうしていつも帽子を被ってるの?」と尋ねたことがある。すると母は少し考えて「叔父さんは帽子が似合うからね。」といった。しかしその時、私には帽子が似合うということがどういうことなのか、正直言ってよくわからなかった。
そういえばこんなことがあった。私と母と叔父さんの3人で温泉に行った時のことである。私は湯船に浸かった叔父さんの姿がなんだかひどく奇妙に感じられて、湯船に浸かる気にならず、先に上がってしまったのだった。
いまから考えると、それが帽子を被っていない叔父さんの姿を見た最初で最後だったかもしれない。部屋に戻って一人で外を眺めていると、暫くして浴衣姿の叔父さんが戻ってきた。叔父さんの頭の上には小さく折りたたんだ手ぬぐいがのせられていた。
そんな叔父さんは、私が小学五年生のときに駅のホームから飛び込んで自殺してしまった。母によれば、叔父さんはある持病に悩んでいて、おそらくそれを苦にしてのことだろうということだった。
葬儀の時、遺影の中の叔父さんは、やっぱりいつもの帽子を被って笑っていた。
それから暫くして中学生になった私は、自分の体にある変化が起こっていることに気がついた。頭のつむじの辺りに、いつのまにか瘤のような突起が出来ていたのである。
はじめはそのことと叔父さんを結びつけて考えることはなかった。しかしそれ以来、私は他人から頭を触られるのを極端に嫌うようになり、自然と帽子を被ることが多くなった。
そしてある日、コンビニの自動ドアに反射した自分の姿が、叔父さんに瓜二つであることに気が付いて愕然としたのである。
あれはまだ私が小学生になったばかりのことだったと思う。クラスメイト達と桃太郎の話をしていて、私の話す結末が間違っているといって、クラス中からまるで私がなにか嘘をついているかのように、悪者にされてしまったことがあった。私が家へ帰って、泣きながら母にそのことを訴えると「うちでは昔からそういうふうに伝わってるんだけれど、外ではあんまり言わないほうが良かったかもね。ごめんごめん、母さんが悪かったわ。」そういって慰めてくれた。母が話してくれた桃太郎の結末はこうである。
「桃太郎の勇気にすっかり感心した鬼の大将は「どうか私達をあなたの家来にしてください。」そういって宝物を差し出したのでした。たくさんの宝物と家来の鬼をつれて村へ帰った桃太郎は、日本一強いお侍になったとさ。めでたしめでたし。」
母は能面のような美しい穏やかな顔をした人だったが、額の両脇に、普段は前髪にかくれて見えない小さな豆粒ほどの瘤があった。そして母が本当に怒ると、どういう訳かその瘤がまるで角のように見えて、息子である私でさえ悲鳴を上げてしまいそうになるほど恐ろしい顔をするのだった。
病院の廊下に引き裂かれるような鳴き声が響くと、分娩室のドアから看護師さんが顔を覗かせた。
「桃川さん。おめでとうございます。母子ともに健康ですよ。」
促されるままに分娩室に入り、おくるみに包まれた生まれたばかりの我が子をそっと抱きかかえた。妻はベットに横たわったまま放心していたが、その表情はこれまで見たことがないほど満ち足りている。
「ありがとう。」
私は妻にそう囁くと、しっとりと濡れた赤ん坊の頭にそっと手を触れた。
2020/06 tobe小説工房応募作一部修正(2020/11/13)
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