回文ショート・ショート/時計塔
時計叫ぶ、今朝、行け!と。
その小さな市には、市の規模からすればやや不釣り合いなくらい大きな古い時計塔があった。その麓にひとりの男の赤ん坊が捨てられていたのは、いまから何十年も前のことである。赤ん坊は時計塔の管理人夫婦によって発見され、そのまま、子供のいなかった夫婦に引き取られた。ところがいったいどういう訳か、管理人夫婦は赤ん坊に名前を付けるのを忘れていて、赤ん坊のことをただ”坊や”と呼んでいた。そんなわけで近所の人たちも、その赤ん坊のことを”時計の坊や”とか”時計小僧”と呼ぶようになり、やがて成人すると、なんとなく、”時計さん”とか”時計”とか呼ばれるようになった。またなかには”時計野郎”などと、あえてすこし小馬鹿にしたような呼び名で呼ぶ者もあった。
というのも、工業化の進んだその時代には誰でも自分の時計くらい持っていたし、時計塔の管理は市の税金によって賄われていたので、時代遅れの時計塔は税金の無駄遣いだと主張する人も少なからず居たのである。とはいえ、朝と昼と夜と真夜中の一日四回、六時と十二時に打たれる時計塔の鐘の響きに多くの市民は愛着を感じていて、時計塔は管理人一家によって細々と運営されていたのである。
時計塔は市の地下を流れる地下水によって、その大きなゼンマイが自動的に巻かれる仕組みになっていた。しかしかなり老朽化が進んでいて、本来は弱ってきたゼンマイを交換すべきところを、市の予算の関係で、もう長いこと古いゼンマイをだましだまし使っていた。そのうえ地下水の水量も近年は減少傾向にあり、時計塔本来の仕組みだけでは充分なゼンマイの巻を得られなくなっていた。そのため、年老いて引退した管理人夫婦に代わって、朝と昼と夜と真夜中の一日四回、六時と十二時に大きなゼンマイをギリギリ巻き上げるのは”時計”のもっとも重要な仕事になっていた。それはかなりの重労働であったが、たとえ”時計野郎”と陰口を云われようと、”時計”は文句一つ云わずに、毎日休むことなくギリギリとゼンマイを巻き続けた。
というのも、”時計”の仕事に対する情熱は、あるひとつの崇高で、しかしややまと外れな使命感によって支えられていたのである。
それはまだ”時計”が”坊や”と呼ばれていた子供の頃のはなしである。この市の小学生は、皆一度はこの時計塔に見学に訪れ「時」に関する授業を受けるのが昔からの伝統だった。正式な戸籍がなかったために学校に通うことが許可されなかった”時計”は、毎年行われるこの「時」の授業をとても楽しみにしていた。小学生たちが見学にやって来ると、”時計”は時計塔の梁の上に登り、いつもそこから授業の様子を眺めていた。
授業では朝と昼と夜が訪れるのは地球が一日に一回転するからであり、時計塔の鐘は日に四回、それぞれ朝と昼と夜と真夜中が来たことを知らせていると、先生が説明した。さらにその四回をそれぞれ六つに区切ったのが一時間で、それをさらに細かく一分一秒と分けることができる。また反対に、一日一回転する地球が三百六十五回転して、太陽の周りを一周するのが一年で、一年は大きく四つの季節に分けることができるのである。そう先生の説明は続いた。
授業の様子を見ていた”時計”は、時計塔の鐘が鳴る度に地球がグルっと回転する様子を想像して驚いてしまった。
「まさかこの時計塔にそんな大切な役目があったなんて」
”時計”は、お爺さんが毎日ギリギリと巻いているあの大きなゼンマイが、地球を動かしているのだと勘違いしてしまったのだ。
「お爺さんが僕に教えようとしているのは、そんな大切な仕事だったんだ」
それ以来、これまで時計塔の仕事にあまり興味を示さなかった”時計”が、急に熱心に手伝いをするようになったので、管理人夫婦はとても喜んだのだった。
おもえば、それは長閑で平和な時代だった。
やがて戦争が始まり、長く暗い時代が続いた。管理人夫婦も亡くなってしまい、いまでは中年になった”時計”が時計塔をひとりで管理していた。そして遂にこの市にも無人爆撃機が飛んでくるようになった。空爆は日に日に激しさを増し、その度に”時計”は、周囲の人々が止めるのも聞かず、時計塔の上に登り無人爆撃機に向かって叫ぶのだった。
「おーい!やめろー!あっちへ行けー!撃つなー!ばかやろー!あっちへ行けー!地球を、地球を止める気かー!ばかやろー!あっちへ行けー!」
人々はその姿を見て”時計”が発狂したのだと思った。
ある日の朝早く、一晩中続いた空爆が終わって防空壕から出てきた市民たちは、一面の焼け野原に奇跡的に焼け残った時計塔と、その麓でぺちゃんこに潰れてしまった”時計”の死体を発見した。”時計”の亡骸は市民たちによって手厚く葬られたが、”時計”が命懸けで地球を守ろうとしたことを知る者はなかった。
とけいさけぶけさいけと
(2020年12月noteで公開)