春が来た
「はあるがきいたあはあるがきいたあ」
「カーッ!」
可憐な少女の歌声を遮ったのは禅寺の和尚ではなく、町内でカントクと呼ばれている、自称元映画監督の町内会長だ。ここコミュニケーションセンターの会議室では、毎年四月一日に開催される桜祭りのリハーサルが行われていた。
「ハイッ!もう一回!」
「はあるがきいたあはあるがきいたあ」
「カーッ!もう一回!」
少女の瞳は燃えていた。少女の夢はアイドルになることだった。そのために少女は、幼稚園に上がる前からバレーとパントマイムとカラオケのレッスンに毎週通っていたのだ。
幼稚園に上がるとお遊戯のじかんがあったが、少女は歌も踊りの振り付けもまともに覚えられない、他の園児たちのアホさにうんざりした。そして少女が小学校に上がると、事態はさらに悪化した。少女がいくら真剣に創作ダンスに打ち込んでも、誰ひとりとして少女についてこれないばかりか、次第に周囲から少女の存在が煙たがられるようになってしまったのだ。
結局少女は、学校では何もできないフリをしてやり過ごすことを覚え、放課後のレッスンにそれまで以上に打ち込んだ。
町内では誰もがカントクの演技指導をやり過ぎだと感じていた。しかしそれを指摘して、自分に町内会長の役が回ってくることを恐れ、毎年の慣例として、まるで生贄のように数名の小学生がカントクに差し出されていた。そして今年の生贄に少女が選ばれたとき、少女は狂喜した。
この娘(むすめ)には何かある。カントクはとっくに無くしたと思っていた演出家としての情熱に火が灯るのを感じていた。カントクは若い頃、アイドル出身の女優をしごき抜いてその魅力を引き出すことで有名な映画監督の下で、二十年以上助監督を務めていた。結局自分が監督して映画を撮る事はなかったのだが、長年の経験から若い女優を見る眼にはそれなりに自信があった。
この娘を一人前の女優に育てたみたい。メラメラと音を立てて燃え上がる情熱の炎は、もうカントク自身にも鎮めることはできなかった。
「はあるがきいたあはあるがきいたあ」
「カーッ!もう一回!」
「ハイ!もう一回!」
「ダメ!もう一回!」
リハーサルはいつまでも続いた。
春が過ぎ、夏が終わり、秋から冬へ、そしてまた春が来るまで。
(2020年3月ssgへ投稿したものに加筆修正)
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