「褒められたい」という感覚
私は承認欲求が高い。
自分で言うとダッサいけど、THE褒められて伸びるタイプだと思う。
それに紐づけて、今朝とっても嬉しかった出来事について話したい。
前にも書いた通り、私は踊ることが好きだ。
この自粛期間も、たまに振り作りの依頼が来て創作をしてみたり
踊ってみた動画や、それこそ今話題の「うちでおどろう」の三浦大知さんの振りをコピーしてみたり、、、と、家の中で一人で踊ってはいた。
けど、誰にも見せない、見せる機会がないことで、何となく踊ることへのモチベーションも下がって、振り覚えも悪くなっていたし、
自分で踊った動画を見ても どんどん下手になっているように感じて、
自分のダンスへの価値が見いだせなくなっていた。
そんな時だった。
今朝、インスタグラムのストーリーを何気なく眺めていると
所属するフラッシュモブサークルの、とっっってもダンスの上手い先輩が
BOXFresh(質問箱)に寄せられた「ダンス上手いと思う後輩は?」
という質問の回答で、私の名前を挙げてくれていた。
しかも全部で5,6人挙がっていた中で、私以外はみんなバチバチのダンサーで、私自身も憧れているような子たちばかりだった。
あまりの嬉しさにDMを送ると、
・・・なんて嬉しいお言葉!!!
今までも、誰かに何度か「上手いね」とか「踊り方が好き」と褒めてもらったことはあったけど、こんなに嬉しい誉め言葉をもらったのは初めてかもしれない。そう感じたくらい光栄で、とっても嬉しい出来事だった。
そこで、冒頭に述べたことについて考えたい。
私の踊ることのモチベーションは「誰かに褒められる」ことによって保たれていたのではないか。
とはいえ別に、褒められたいから踊っている訳ではない。
踊ること自体が楽しいし好きだから、14年も続けていられる訳だけど
でも”ただ”踊っているだけならきっと飽きてしまっていたはずで
”ただ”踊っているだけだったら、今ほど上達はしなかったと思う。
つまり何が言いたいかっていうと、「褒められたい」という感情、要は承認欲求は、ある段階からさらにステップアップするために重要なのではないかということだ。
高校の時、保健の授業で先生が
「ある程度のストレスは人間の成長にとって重要だ」と言っていた。
確かに何かで誰かに負ける経験や、挫折といった「ストレス」要因も、成長にとって大切なことは確かだと思う。
でも、ストレスをモチベーション(理由)に努力しても、誰も褒めて(認めて)くれなかったら、きっとどこかで折れてしまうだろう。
「誰かに褒められたい・認められたい」=「いいねが欲しい」
こういう感覚って、なんとなく「イマドキの子」として揶揄されがちな気がする。少なくとも私は冒頭に「私は承認欲求が高い」って書くのを少しためらったし、実際褒めて伸びるタイプだと書くことを「ダサい」と見なした。
たしかに、そればかりを求めるのは良くない、というより、生きづらそうには感じる。
実際自分は小学生くらいの頃、友達は褒められているのに自分は褒められないだとか、〇〇ちゃんは「可愛い」って言われるのに自分は言われないだとか、そういう「他者からの(目に見える)評価」を気にして、そのせいで自尊感情まで低くなっていたように思う。たぶん私は自己肯定感より、自己有用感が自分の中での軸になっているだと思う。
(「自分に自信がついたきっかけの話」にも載せた図を再掲)
やっぱり承認欲求って、人間の成長には欠かせないと思うし
私の今までを語る上では、良くも悪くも欠かせないものだと思う。
うーん、ここまで書いて、何が書きたかったのかちょっと迷子になってきちゃったけど
「褒められたい」って感覚とか承認欲求って、上手く使えば自己成長に大きく貢献する訳で、別に悪ではないんじゃないかなって思ったりした
そんな話。
自分の悩みの根底にはいつも「承認欲求」が隠れていることが多くて、
だからこそ「承認欲求」の良い面について、自分なりにまとめてみたかったんです。
明日は逆に、悪い面にスポットを当ててみようかな。続編、的な。笑
とにかく、今日はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。