歯医者難民になっています
歯医者難民になっています。
去年、2024年7月にかかりつけの先生(おそらく70代?)が廃業されたのです。
と言っても最後に検診で診療を受けたのはその2月前、おそらく4月なので、もうかれこれ1年半は歯医者難民と化している私でありました。
世の中で、特に女性で、美容室難民やネイルサロン難民は多いです。
いや、彼女たちに難民という自覚はありません。
都度都度、ホットペッパー等のクーポン券等を利用して、メリットのあるお店を訪れるやり方です。
人それぞれなので、否定はしません。
しかし私は幸いにして、美容室は40年、ネイルサロンはその半分位の暦だけれども、決まったプロフェッショナルな担当の方がいらっしゃるので、それはとても幸せなことだと思っています。
話を歯医者さんを戻しましょう。
そもそも前述の廃業された歯医者さんに行き着くまでにも少なからず難民時代がありました。
しかし、何故に難民に、何をこだわって誰を探しているのか、というお話をいたしますと・・・
あれは阪神大震災の前の年、離婚したての私は神戸市垂水区で一人暮らし、いやアメリカンショートヘアーと暮らしていました。
ある日、歯が痛くなり、暇も車もあった当時です、懐かしい友達に会いがてら、新婚時代の土地、福井県敦賀市の歯医者さんまで診てもらいに行きました。
まあ半分は口実、確かに痛かったのだけれど、敦賀で唯一出来た友達がその歯科医院の奥様だったわけで、半分は彼女に会いに行ったようなものでした。
その後、また痛くなり、今度は本格的に現実的に通えるところを探さなくちゃ、と思い始めます。垂水区に住み始めて間もなかったし、当時は今のようにネットで気軽に口コミを検索することも出来ません。
車で行きやすい所にある、確かコンクリート打ちっぱなしの当時の流行りっぽい建物の歯科医院に行ってみました。
そこで、神戸なのに大阪っぽい物言いの先生が、頭から「次回はインプラントをする」と言い放ちました。1994年ですよ、まだインプラントは今ほどポピュラーではなかったはずです。受付で次回の予約日を求められましたが、適当な理由をつけてもちろん2度と行きませんでした。先生と合わなかったのです。
そこで、神戸の女子大時代の友達で生粋の神戸っ子に聞きました。最初から聞けばよかった。彼女に教えてもらった歯科医院がまさしく運命の歯科医院だったのです。
友達はこう言ってました。「院長先生は◯◯学園の校医もされててとても評判がいい」と。
そして、紹介された歯科医院に早速足を運びました。
その時担当して下さったのが私が今、治療を受けたくてたまらない中村先生。
その時先生は仰いました。「院長は今日はいませんが、次回から院長が担当・・・』
私はキッパリ言いました!「いいえ!先生が!いいです!!」
そんなことで、少し前のガサツな大阪ノリの(という私も大阪やねんけど)合わなかった先生とは打って変わって、優しくて丁寧な説明と治療をして下さった中村先生とは「氣」(当時は九星気学はまだ学んでいないのですが)が合ったわけです。
まあ長くなるので端折って書きますが、結果、私は親知らずを3本抜いて、そのうち1本の親知らずを左下の奥歯に移植したのです。
あの大阪ノリのおっちゃん(失礼)がインプラントしようとした部分に、今でも(あれから30年!)私の親知らずは生きて、根付いているのです。
これって、素人の私でさえ、すごいことだと思うのですが?すごいですよね?
去年までかかりつけだった廃業された先生も仰ってました。
「機会があれば、これを治療された先生にまだ生きてるよって教えてあげて。とっても喜ばれると思いますよ」って。
こんなことを仰る朝倉先生も、人間的に立派な方だなあとずっと尊敬しておりました。廃業されて本当に残念です。
話が長くってごめんなさい。
それで、ですよ。
このネットで何でも検索できる時代です。
私は中村先生に診てもらうべくもう何十回もトライしているのですが、とことん、ご縁がないのでしょうか、いつもタイミングが悪いのですよね・・・
休診の時に電話したり、長期休診明けで予約が取れなかったり。
最近は「当分お休みします」という留守電なので、ご健康に関することかしら・・と少なからず心配しております。
誰かが言ってましたが、医者は自分よりずっと年下がいい、そのほうが安心だって、確かに。
でも、それもこれもご縁ですからね。
先生に診てもらうまで、自宅の歯磨き頑張ります。
因みにイマドキの歯医者さんで歯科衛生士さんのお手入れには通い始めました。
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