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私が初めて男性器を見た時の話

朝から憂鬱だった。
第一志望高校の、受験の合否がわかる日だった。
美術部のない中学校3年間は、絵を学びたい私にとって地獄だった。
美術を専門に学べる高校があると知り、私は地獄から天国へ這い上がるチャンスだと思った。
試験はデッサン、実技テストによって合否が決まるので、その日のために私は練習を重ねてきた。
やるだけやりきったが、落ちてると思った。
無駄な期待をするとダメージが大きい。もう傷つきたくない。絶望を恐れていた。

その日は朝9時に合格番号が高校現地にて紙に張り出されるので見に行かなくては行けないのだが、時間を過ぎても家から出たくなくて、制服を着たまま動かず、じっと、床に横になっていた。

重い腰を上げて志望高校についたのは、14時すぎだったと思う。
今思えば、人が多い時間帯、朝1番に見に行けば良かったと後悔している。
朝1番に見に行けば、お母さんと一緒に合否を見に来る子達で溢れかえっていたと思う。
私は母親が居ないので、お母さんと一緒に合否の結果を見にいってる子を見ると、勝手に妬んで、傷ついて、寂しくなる。しかし思春期なのでそれを認めたくなかった。だから、潜在意識の中でその状況を避けていた。

高校に着く、合格していた。
急いで持っていた携帯電話で、おばあちゃんに電話した。
おばあちゃん、番号あった。あったよ。
おばあちゃんは電話口で、よかったね〜と嬉しそうに喜んでくれた。
「お父さんにも、早く連絡してあげなさい」
そう言われ、頷いて電話を切った。
なんだ、そういえば私にも暖かい家族がいるじゃん。
足取りは軽かった。

中学校に戻って、担任の先生に報告をしなくてはいけない。そのまま直行しようと携帯電話を片手に高校の校門を出る。
父は仕事中なので電話をせず、メールを打ちながら足早に歩いた。
高校の裏手の道、閑静な住宅街だが、人通りが少なかった。
『高校、受かってた』
メールを打ちながら歩いていたので、私の背後から車がゆっくり並走してきたのに気付かないままだった。

「すみません、道を聞きたいんですけど」
メールの画面から目を離すと、車の運転席の窓が空いており、20代ほどの男性が運転席からこちらを向いていた。
咄嗟のことでびっくりしたが、丁寧な口調で道を聞いてきたので、私は困っている人は助けなくてはいけないと当たり前のように頭が判断し、はいと返事をして立ち止まった。
「ちょっと、教えてください」
と、男性が手招きしたので車に少し近づき、地図か何かを見せてくるのかと男性の手元に視線をやった。
男性の手元が股間部分にあり、赤黒い魚介類のような肉が直立してあった。
私は一瞬、それが何かわからず思考停止しながら見つめていた。勃起した男性器の形を知らなかった。

男性は私の表情を確認すると、文字通りニヤリと笑い、そのまま車を走らせて去っていった。

私は茫然自失で、去っていく車の後ろ姿を見つめるしかなかった。ナンバープレートも見ていなかった。
何が起こっているのか全くわからなかった。

何が起こっているのかわからないまま、駅にたどり着き、電車に乗る。
小さな脳みそで必死に考えた。
最寄り駅に着く頃には、自分は加害されたという事を認識していたのか、友達に電話をするしかないと思った。
笑い話にして、消化したい、電車の扉から出るとともに、駅のホームに座り込みながら友達に電話をかけた。
面白おかしく、ちんちんを見た!と笑いながら話をしたが、手は震えていた。

自分は大した傷ついてないし、ショックではないし平気!むしろ面白いもの見たから笑い話にして誰かに聞かせてやりたい!そんな一心だった。
これは自分の気持ちをごまかせる良い方法だと味をしめた。

中学校についてからも、私は面白おかしいピエロとなり、会う同級生みんなにちんちんの話を振る舞った。

男子には「あいつちんちん見せられたんだって!」とゲラゲラ笑いながら盛り上がっていたので、私も自分の話がさもウケているかのようにゲラゲラ笑った。加害された事をより一層に誤魔化せて、気が紛れて高揚感に包まれていた。

話の内容をまったく聞いていない教師は、私の尋常じゃないテンションの高さを見て、私が合格発表に喜んでいると判断したらしい。

中年の、小太りの女性教師が私を別室にひとり、呼び出した。
きっと、その教師からしたら、私の態度が受験に落ちた生徒の癇に障り、精神的に迷惑をかけると思ったのだろう。

「あなたは、勉強もせず、授業中に絵を描いてばかりでした。周りの皆さんは勉強を頑張ってたのに、あなたは絵だけ描いてれば受かったんだから、もう少し態度に気を使ってください」

言われた内容がショックだったのか、口下手な私は、帰り道に知らない男性のちんちんを見せられました!なんて教師には言えず、黙ってしまった。
私は試験の日のために、何枚もデッサンを頑張ってきた。しかし美術部がなく、極端に美術の授業数を減らしていた学校の教師にとっては、私の合格はズルであり、努力は屁みたいなものだった。

その後、志望校に落ちたであろう同級生の気の強い女の子にも「なんでお前なんかが受かるんだよ!ありえない!死ね!」とも言われた。

頑張って志望校に合格したのに、見知らぬ男性からは『コイツには加害しても良い、憂さ晴らししても良い対象』としてサンドバッグにされ、教師からは『絵なんかで受験合格出来て良いね』と馬鹿にされ、私の事をよく知らん奴には『死ね!』と言われる。

放課後、通っていた塾に合格報告をした。
感情はなく、もう受かっていた喜びもなく、事務作業で淡々とこなした。
戻ると、自転車置き場にとめていたはずの私の自転車が変だった。サドルにイタズラされていた。
頑張って直そうと悪戦苦闘していた様子を、離れた場所であまり仲良くないタイプの、露出狂の話を直接していない同級生の男子がこちらを確認していた。
遠目から大きな声で、私に向かって「ウェーイ!!ちんこ見た女だ!!!ウェーイ!」と叫んでいた。
典型的なDQNで、面白おかしく笑い声をあげながら去っていった。

そいつがやったんだなと直感的に気づいたが、サドルはどうしても直らないので、自転車を押しながら、泣きそうな気持ちをグッと抑えて黙って歩いた。

帰宅すると、父親がケーキを買って待っていた。
私が露出狂に会う直前に作成していた合格報告メールが、父に届いていたらしい。
多忙な父がケーキを買って早く帰宅することなんて珍しく、私の事情も知らずに喜んでいた。
きっとこの日は、父が私を育てていた日々の中で、一等に嬉しい日だったかもしれない。
離婚したプレッシャーの中、自分の元妻が殺人未遂で逮捕され怯えたであろう日々の中、私の思春期を見守ってきた。幼少期にはいじめにあったりとたくさんの心配と迷惑をかけてきた。
そんな父のようやく迎えた嬉しい日を、無碍にできなかった。
もう私は、ひとことも笑える気力は残っていなかったが、無理やり作り笑顔をした。

ズキズキと痛むが、それが引き攣った表情筋なのか、それとも私の心なのか、もうわからなかった。

私が、地獄から這い上がるため、努力して掴んだ合格だった。
これから始まる高校生活、何度もあの通学路を通るたびに今日の事を思い出すだろうと、目を逸らしながらも、心の中では薄々わかっていた。

私が人生で、初めて受験に合格出来て、喜べた時間は、校門を出てからメールを送るまでのたったの数分だけだった。
まともに喜ぶことすらも、私には許されないんだな、と悟った。

きっと、世界一美味しい味になるはずだったこの日のケーキ。

味がまったくしなかった。








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