見出し画像

時給820円の中に

私が司書という仕事を知ったのは大学生のころだ。

教職か,司書と学芸員のどちらかの資格を選んだときだった。

私は教職を諦め,司書と学芸員を目指すことにした。

まあ言ってしまえば,どちらでも良かった。別にどちらを選んでも良かったのだ。

私はただ普通に,なんの情熱もなしに司書と学芸員の講義を受けていた。

大学4年生に入り,あるリフォームの会社に内定を頂いたのだが,就職前合宿で受けた精神的苦痛から,その内定を蹴った。

そこから私の絶望的な人生が始まった。朝起きてから,死ぬことが頭から離れない。以前から精神が不安定になる度に講義を休むことが多かったが,少しずつ回数が増えていったように思う。

最後の最後に教授の協力である県立図書館の事務嘱託員(図書館司書)として仕事を得ることができた。

しかし,その仕事も長くは続かなかった。一年半後,私は精神的な苦痛から退職を余儀なくされた。

あの当時は常に泣きじゃくっていた。泣きながら就職先に体調不良で休む旨の電話をして,自己嫌悪感に襲われながら,自分自身を殴りつけたりもした。

それが半年以上続いた。診察を受けて,社会不安障害の病名を付けられたのもその期間だった。

私はその土地を去ることになった。

地元への望まれない帰還。

母からは罵りを受けた。祖父母にも仕事を辞めて逃げ帰ってきた孫にかける言葉は私にとって苦痛でしかなかった。

そんなときに司書資格を活かせる場所として,学校司書の仕事を見つけた。

なにもやらないよりはいいだろうということで,私はその仕事についた。

ひとり職場,なれない学校という場所。
誰も手をつけず放置された学校図書館。

味方もいなければ,敵もいない状態の中で仕事が始まった。

この仕事を甘く見ていた私は出鼻をくじかれた。

掃除と整理,本の分類,書架の配置替えに一年を要した。きっと一年ならまだいいほうだと思うかもしれない。

言い忘れていたが,私は小学校と中学校の二校を兼務する形で今も仕事を続けている。

小学校三日,中学校二日。

時給820円。

進まない仕事。

先生のようで先生でない中途半端な存在。

学校に居場所なく,いつもお客さんのような感じだった。