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大伴旅人
旅人は家持の父で坂上娘女(さかのうえのいらつめ)の兄です。
筑紫の旅を1997.11にしました。太宰府(都府楼)(とふろう)
跡、観世音寺・志賀島 水城跡(みづきあと)その他を
訪れました。都府楼跡では、千年以上前に旅人や憶良達がここに登庁していたと思うと心うきうきでした。
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やすみしし わが大君の食国(おすくに)は
倭も此処も同じとぞ思ふ
先日テレビで日本の新年の料理番組で日本は昔から食の国で万葉集でも食(お)す国と詠われています。と云った時に私はすぐ都府楼跡のこの歌碑を思い出しました。
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志賀島は1784年に金印が見つかった事で有名な島です。
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漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)ときざまれとおり奴国(なのくに)の王が後漢の光武帝から授かったものと云われている。
志賀島に渡る船も金印号でした。
小さな島ですが、大陸との交通の要所として重要な役目を果たしたところで、遣新羅使のうた、防人のうたなど、10基程の歌碑がありました。
水城跡は、メジャーな旅行ルートではなく、個人グループだからこそこんなところも行けたと思います。
先生の説明を聞きながら土手の上を歩きました。
664年、唐と新羅の攻撃に備えて防衛施設として作りました。時々テレビの歴史の番組で映ると、『あっ、行った行った』と思い出します。
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(968)ますらおと思えるわれや、水茎の水城の上に涙拭わむ
旅人の心に残るうたは
(338)験(しるし)なきものを思はずは、一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし
お酒を呑める人のうたですねぇーー
次も
(342)言はむすべ せむすべ知らず極りて 貴きものは酒にしあるらし
呑める人はいいですねぇーー
(344)あなみにく さかしらをすと 酒飲まぬ人をよく見れば 猿にかも似る
失礼ですョ 呑めない人に。
呑まない人にも、私にも・・・
まぁ、真面目くさった役人面は嫌だということらしい。
(348)この世にし、楽しくあらば、来む世には虫に鳥にもわれはなりなむ
旅人のうたをみていると、とにかく楽しく生きましょう。という感じかしら。
noteに載せることにより、忘れていた所を記録してあった旅行ノートなど、見返しアルバムを改めて開いてみたり、記憶を辿り若かりし頃を想い出したり楽しい時間を過ごせました。
今まで16人の私の好きな歌人を載せてきました。
万葉集を勉強したおかげて昔々の人間模様、歴史的背景などがよくわかり、そして、万葉にまつわる所をあちこち旅行でき、楽しかったです。