大伴坂上娘女

彼女は大伴旅人の妹で、大伴家持の叔母です。
数多い万葉歌の中でも、感情を細やかに美しく表現出来た人は他にいないと云われています。
彼女は14才の頃、穂積皇子と結婚しました。
包容力のある皇子の愛に包まれ幸せな結婚生活を送りましたが、2年たらずで穂積皇子が薨じてしまいます。
20才の頃、藤原不比等の四男 藤原麻呂と結婚します。
その時の贈答歌
 むしぶすま 柔やが下に臥せれども

妹とし寝なば肌し寒しも

来むといふものを 来ぬ時あるを 来じというを
来むとは待たじ来しというものを

彼女は旅人をはじめ 父や兄弟の全てが万葉集に歌を残すという文芸のかおり溢れる環境の中で育ちました。
だからこんな技法の遊びを試みることも出来た様です。
この結婚も2年程でした。

そして3回目が20才以上年上の大伴宿奈麻呂と結婚し、坂上大嬢と坂上二嬢を産みました。
しかし、20才半ばで死別してしまいます。
『恋ひ恋いて 逢える時だに 愛しき
言尽してよ 長くと思わば』

恋して恋してやっと会えたときぐらいは いとおしい言葉をありったけ云って下さいな。
私といつまでもとお思いでしたら。(田辺聖子さん訳)
このうたが本人の思いで、自分の恋人に贈ったのなら感動しちゃう。なんて可愛い人なんだと…

どうやら娘の坂上二嬢の結婚相手だった大伴駿麻呂に二嬢のかわりに詠んだという説があり、私は興ざめ。
まああの頃は歌を他人のために詠むことはあって、柿本人麿だって額田王だってそれが仕事だったわけだけど、恋のうたとなると、人のかわりにはちょっともらった方だってうれしくないと思うのは、私だけでしょうか。
次は情熱ほとばしる 狭野弟上娘子

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