鏡王女

『風をだに 恋ふるは羨し
  風をだに 来んとし待たば何か嘆かむ』

 たとえ風だけだって恋ふる対象をもっていられるのは羨やましい。私の部屋には風さえこなくなった。
 あぁせめて風でもよい。待つ相手がいるのなら。

このうたを見ると、切なくなります。

額田王の
『君待つと わが恋ひをれば       わが屋戸の 
すだれ動かし 秋の風吹く』

中大兄皇子への思いを高らかに歌いあげています。
それに対する返歌みたいなもの
中大兄皇子と相問歌まで詠いあった仲なのに妹の額田王にその立場を奪われました。

でも、羨みがみしい歌ではない様に思います。
ただ、悲哀にみちていて、ただ切ない。
中大兄皇子は、臣下である鎌足に彼女を与えたとういう説、
鎌足は、正室として迎え、大事にしてくれた様ですけど、
でも・・・愛する人に、愛されたいと私は思う。
そして私は妹と、2012.5月に鏡王女の歌碑を尋ねました。


『秋山の樹の下隠り 逝く水の
われこそ益さめ 御思よりは』

 私に、おそそぎ下さる、あなた様のおぼしめしよりは、あなた をお慕いする私の感情の方が、まさって見えますものを

これは中大兄皇子の
『妹が家も 継ぎて見ましを大和なる 大島の嶺に 家あらましを』

 大和と河内の国境にそびえる大島山のてっべんに家があったなら、あなたの家をいつも見ることが出来るのに

のうたへの返歌です。
皇子と仲むつましい頃のうたです。
1995.7月の近江の歌碑を尋ねる旅をして以来、御陵も対の様に尋ねています。2012.5月鏡王女の歌碑の近くに舒明天皇陵があり、訪れました。
その手前に鏡王女のお墓もありました。

草ぼうぼうで、あれている様に思いました。
地域の人らしい人と会って、話しました。
あれているので気の毒に思ったのですが、地域の人達が草取りなどしているとのこと。
天皇陵は宮内庁で管理しているらしいので、どこもとてもきれいに手入れされています。

最近になって、鏡王女は舒明天皇の子か孫であったかもという説を知り
あっ、だから舒明天皇の御陵の近くに鏡王女のお墓があったのかナと思いました。
あくまで私の推測です。

次は、藤原夫人について

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