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額田王

昨年暮からNoteに載せてからまだ4回あまり
載せようと思うことのないまま月日が過ぎました。

そうだ!!私の好きな万葉の歌人について、私の感じたままを(独断と偏見になるけど)載せてみようと思いました。
今回は、私が50代になって万葉集を勉強してみようと思ったきっかけの詩の作者、額田王について!!

高校2年の時、日本の文学の授業で初めて
『あかねさす 紫野行き標の行き 野守は見ずや 君が袖振る』
これを見た時、なんて耳に心地よい、すらすら心に入って来る詩だと思いました。

そしてこれが大海人皇子(おおあまのおうじ)との相聞歌。
皇子との間に十市の皇女(ひめみこ)という子までなしながら、この詩をよんだのは天智天皇の元に行った後、滋賀の蒲生野(がもうの)で薬猟の時でした。

天智天皇が近くに居るのに、前の夫、大海人皇子に大胆な声掛けです。
多分心はまだ、大海人皇子にあるんだろうと、ドキドキときめいたものです。
そして大海人皇子が
『紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも』
兄の寵妃だけど止められない熱情を感じて!

ドキドキしちゃう(大丈夫なの?)とずーっと心ときめいていたのに、近年の説ではひそかに歌いかわしたのではなく、衆人の集う宴の席での応答だったとか。

がっかりさせないでよ。私のこの純粋な心をどうしてくれるの?私は今でも2人はひそかに心をかよわせていたと思っています。

そして万葉の会へ入るきっかけになった蒲生野への歌碑を尋ねる旅で歌碑の前に立った時、向こうで大海人皇子が手を振っている姿が想像でき(もう30年も前のことで、今は様子も変わっているかと思いますが)
あっ、こういうことができる会で勉強しようと思いました。

次は鏡王女について載せたいと思います。

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