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柿本人麿
『天の海 雲の波たち 月の舟
星の林に漕ぎ かくる見ゆ(1068番)』
何の訳もいらずスーっと読めるうたです。
広々して雄大で地球上の色々の悩みなどちっぽけなことで大したことではないと思える様な澄んだ大らかなうただと思います。
このうたを知ったのは30年程前万葉集を勉強する前のことでした。
テレビを見てたら(今では内容はすっかり忘れてしまいましたが)
主人公がこのうたを口ずさんで柿本人磨のうただと云っていました。
よいうただと思い、すぐ書きとったのですが、すべては書きとれませんでした。
その頃すでに妹は万葉集の勉強をしていたので、このうたの続きわかる?と聞いたらすぐ調べて返事をくれました。
すごーい。勉強していればすぐ調べられるんだと思い(今の様にスマホですぐ調べることができない時代だったので。)
妹に紹介してもらい同じ万葉の会に入会しました。
万葉を勉強するきっかけになったうたで、私の好きなうたの一つです。
ところが先生から、これは人麿歌集にのっていて人麿が詠んだかどうかわからないと云われました。
人麿は宮廷歌人で、持続天皇などの行幸に従駕し、多くの行幸儀礼歌などを詠みました。あちこち行っているので、私たちも、歌碑をおとづれる旅であちこち旅行しました。
1998.11/6~9鳥取、島根、出雲、松江、益田を尋ねました。
島根県石見益田などでは終焉の地としてどこを歩いても人麿さん人磨さんの看板があった様に記憶しています。
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奈良 山辺の道に
衾道を引手の山に妹を置きて山路を行けば
生けりともなし
(引手の山に妻の屍を葬って山路を帰ってくると悲しくて生きた心地がしない)
という歌碑があり、2012.11月、妹と2人このあたりを歩きました。
多分引手の山とは龍王山のこのようです。
1300年前の人麿もここを歩いたのかと思うと ロマンを感じました。
そして2014.11月 、高校の同級生3人を案内して、このあたりの歌碑をおとづれました。
私は、秋の紅葉シーズンが好きで、だいたい11月中旬に旅行することが多く、11月中旬は私の誕生日もあり、ホテルで友人が御礼にと誕生会をしてくれたのを思い出します。
70代になって高校の同級生からお祝いをしてもらえるなんて
思いがけなく幸せだったこと思い出します。
2001、10月に
万葉の会の7人で、四国道後温泉、熟田津(にきたず)を訪れました。
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熟田津は、額田王が詠んだうたがあります。
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎいでな
斉明天皇が、筑紫に行く途中、伊予の熟田津に船泊りした時の天皇の気持ちを詠んだうたです。
そして、私達は、四国の瀬戸内海沿いを東へ、香川松山の坂出の人麿岩を訪れました。
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