可愛すぎて真実を伝えなかった裏で私が見てきた世界。
夫は子どものことが可愛すぎて、子ども達が辛い思いをしたことを聞くと一気に「怒り」という感情が込みあがり話にならない。
気持ちはわかる。わかるよ、すごーく。
だって大好きで可愛くて可愛くてしょうがない我が子だもんね。
学校での出来事は本当に色々あった、出来ない事が多かったし身体も小さくて何をするにも遅かったし。
たまに夫にもし自分が子どもの時にこんな子がクラスにいたらどうしていたと思う?と言うと夫は黙り込んでしまった。
「俺、そうゆう子のことわかってあげられずにからかっていたかもしれない。いや、からかっていたと思う。だから今この子たちと出会ったんだ」とうつむきます。
彼の小学校時代の写真を見せてもらうと集合写真でいつもど真ん中で笑っている。いわゆる学級委員タイプの男の子。
そんな子にわかるわけないよね。本当は運動会のかけっこで1位をとる息子を自慢したかったかな。勉強は夫もそんな出来なかったけど、ここまで苦手な子の親になりたくなかったかな。
だから、ずっと私は学校で何かあっても夫には話しにくかったし全てを話すと俺が学校に行く!と興奮してしまうから話したくなかった。
ましてや日曜参観なんかでリアルに我が子の姿を見たり、運動会での様子を見るたびに夫の顔を伺っていた。
でも、いつだったか。「俺は学校での子どもの様子を見ていられないし、個人面談なんて絶対無理。なのにいつもそれを受け止めててすごいな」って言われたことがあります。
それだけで十分でした。そうやって思ってくれてるだけで十分でした。
それは夫が誰よりも、なんなら私よりも数倍ただただ我が子をまっすぐに愛していたからだと思っていたからです。
私は時に、この子たちの母親をやめてしまいたいと思ってしまうことがありました。何をやっても出来ないし、特別な支援を受けるほどの困りごとではなく物凄くわかりにくい小さな困ったの中でおぼれていました。
酸欠するんじゃないかってくらい、苦しく感じた時間もありました。
でも、そうゆう時にいつも近くに一緒に子育てしている仲間が「ともちゃんにしかできないよ、こんな子育て」と言うんです。
よく他のお母さんに「よく、叱らずにいられるね、怒ることないの?」と言われてました。
そんな時、心の中で「叱って、怒って子どもが自分の思うようになるならホント楽だよね」と思いながら「してはならないことは伝えているつもりなんだけど、私が怒っていると伝えたいことより怒ってる私が怖くて伝わらないと思ってさ」と言ってきました。
そう話すとだいたいの人がポカンとします。
思い返せば生まれた時から思うように子育て出来ず。きっと赤ちゃんの事は誰しも親が手をかければかけただけ育つはずが、我が家は「なんで?」
ばっかりで可愛い可愛いの時期から早くも私は怒っていたのかもしれません。
「お母さんがせっかく頑張って作ったのになんで食べてくれないの?」
「どうして寝返りできないの?」
「なんで寝てくれないの?」
可愛いって思う前に、私がちゃんとしないから育たないんだって思いに押しつぶされていたんです。
でも、今色々な角度から人の成長について学んでいき成長過程に必要な手立てが見えてなかった自分に気づきます。
あの時、こんなアプローチしてあげたら夫が運動会見に来てもっと笑顔になれただろうか?なんて思うのです。
昨日、先日受講したビジョントレーニング初級講座の修了証が届きました。自分が学びたい!と思って参加した講座は大変興味深く、丘の上のミニミニ図書館でもいつか何か取り入れていきたい知識が詰まっています。
夫には見せてこなかった景色があります。それと共に私の涙もたくさんあります。泣いてもしょうがないのに一人で泣きました。
だけど、その景色を見た私にしか出来ないことは何か?考えるのが今はとっても幸せ。
丘の上のミニミニ図書館にはそんな館長とその家族がスタッフとしてあなたをお待ちしています。
今日も読んで下さりありがとうございました。