5日経った夜の備忘録
あっっという間の5日間。
葬儀の打ち合わせして、
内容決めて、
葬儀して、
その後の手続きぶわーっとやって。
手続きは大体が母しかできないから、
私たちは父の部屋の片付けだったり
一緒に説明を聞きに行くのがほとんどなんだけど。
ぶわーっと一日をすごして、
お風呂の時間や寝る前、1人になった時に、
ぶわーっと父の死に浸ってしまう。
毎日毎日いろんなことを考えて、
ぐるぐるいろんな気持ちが出てくるから、
忘れないように書き記す。
父との関係性は、これまでにもnoteに書いてきた。
良いものではなかった。
でも、良い時もたくさんあったんだな。
写真を見返して思う。
楽しそうな写真がたくさん出てくる。
2年前にも、わたしの誕生日にも、
父の誕生日にも、単身赴任先での思い出も、
たくさんたくさんあるじゃないか。
病気になり、怒りっぽくなっている
父を見ていては思い出せなかった。
それは今の父を無視して
過去の父を見ていることになるから。
今、父との関係性が変わってようやく、
父と過ごした時間全体を、見ることが出来る。
たくさんの写真を見て思う。
自分を、自分たちを愛してくれた人が1人、
自分たちのいる世界から姿を消してしまうのは
やっぱりすっっごく寂しいな。
私たちの人生から居なくなるわけじゃない。
そんなこと絶対に有り得なくて、
これからもずっと私たちの心にいる。
また新たな関係性が始まっただけ、と思う。
父の部屋を見ていた。
私たちが小さい頃の写真、家族で撮ったプリクラ、
小学校の卒業制作?で作った作品、
「かーさんを海外に連れていく」のメモ。
あと、たった3日分の、認知症になってからの日記。
やっぱり、父は父なりに、
身の回りへの疑問や感情をもっている。
書き残すって大事だな、と思った。
人を人でなくしてしまう病気、と思っていたけれど
父はずっと父である。
認知症と診断される半年前くらいから
異変はあったけれど、
診断されてからは、わずか2年半。
診断された後、2021年の11月、父の誕生日。
私は父と知多に行っていた。
父の運転で。
それからわずか2年半。
早かったな、すんごく早かったな。
1ヶ月に1回は帰るようにしていたけれど
2ヶ月空いた時があって、
その時は、私も別人だと思ってしまうくらいに
痩せていた。
でも、2週間前の動画では
呼び掛けに答えて手を振っていた。
人の命、生きものの命、
絶対に無くなってほしくないのに
その時は必ず訪れるし、
気づいたら、ぱっ...と、本当に儚く、
無くなってしまうんだろうなぁ。
私はもう、誰の葬儀にも出たくない!!!
最後はこんな私と父の関係性であったけれど
それでもとっても悲しい。寂しい。苦しい。
お父さん、ありがとうっていっぱい伝えたい。
でも生前にはできなかったと思う。
父との別れを決定的なものにしてしまう気がしたから。。
生前にはできなかったけど、
その温もりに触れられるうちに
感じられてよかった。
温もりが無くなってしまってからも、たくさん、
父の生きてきた感触に触れた。
父の柔らかな皮膚、おでこの感触、忘れないよ。
これから...
周りの人に対して、引き続き、
後悔しないように生きる。
たくさん時間を共有して、たくさん会話して、
たくさん思い出を残す。
たくさん学ばせてもらい、
いつか別れる時、
辛さを乗り越える力にさせてもらう。
私の中で、いつか辛さを乗り越えるための力を
集める旅になるかもしれないな。
これからきっと、そんな面も加わるだろう。
そして、父が愛してくれた自分を、
これからも大切にして生きる。
身体も心も大切にする。
家族だって大切にする!
そのために、周りの人だって大切にするし
仕事も大切にする。
きっとこれからも、
父からの学びはたくさんあるだろうと思う。
これからもよろしく頼む!!