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『若冲』(澤田瞳子 文藝春秋)



日本画の異端児・伊藤若冲の半生を描いたフィクション。池大雅や円山応挙など、同時代を生きた画人たちが入れ替わり立ち替わり登場する、日本画好きには嬉しい、そうでない人にとっても当時の雰囲気を臨場感たっぷりに感じて楽しむことのできる大作。

伊藤若冲といえば、西洋画に親しんだ現代人からしても、写実に溢れた緻密な構図、絢爛たる色彩に非常な個性を感じる画人。彼の絵は一体どのようにして生まれたのか、彼の絵は当時の京都でどのように受け止められたのか、史料や遺された絵をもとに、まるで謎解きをするかのように描かれていく本作は、内容こそ重厚ながら、章ごとに時間と視点を変えることで、軽やかな読み口を得ている。

色彩豊かで一見華やかな若冲画。しかし、よく見ると枯れた葉、蠢く蔓、虫食い、寄り添わぬオシドリと、当時の画材としては見られないものが描かれている。華やかな色彩とどこか闇を湛えたモチーフ。その落差こそが人を惹き付けるのではないか。しかしながら、その絵は、なぜ、そのように描かれるようになったのか。


絵の深みへ、絵の深みへ、自ら地獄へ落ちるように。


愛も、贖罪も、誰にも届かない。自己満足にもならない虚しさを、わかっていながら止められないのが人間の業だというのなら、この世はなんという地獄なのだろう。なぜ若冲の絵に惹かれるのか、私たちもまた何かしらの業を抱えて生きるしかない人間だからだ。

その男には、ただ、絵、それしかなかった。生きることの何もかもが、ただ絵しかなかった。


男って、あほやなあ。あほすぎて、泣いてしまうわ。不器用な生涯があまりにも愛しい。



『若冲』(澤田瞳子 文藝春秋)

(Uさん、販促パネルにコメントを使っていただいたことを覚えています。こんな有名店で、自分のコメントがお役に立つのか、申し訳ないような誇らしいような、もだもだした思いでした)(自店では私のpopはさっぱり効果がなかったのです)
(2028年、また遊びに行きますね)

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