ナラティブ/宗教学について②
2021/4/7 寄稿
まず、ナラティブ(narrative)というのは語りや物語の意ですが、これらが心理学領域で目にされるようになったのは、1990年代のころです。この時期、人文や社会科学の広範な領域で、これらの研究や実践が盛んになりました。こうした先導者の1人にブルーナーがいます。心理学を学ばれた方ならお馴染みの著名な学者です。彼は心理学研究において、人々が経験に基づく個別の意味の重要性を提起し、意味を発現する源泉として物語を位置づけました。
私たちは、日々において絶えず他者に語りかけます。家族、同僚、友人など。その語る過程で自分が本当に感じていたこと、考えていることを発話して初めて気づくこともしばしばあります。これを極端にするとフロイトでいう「失錯行為」として、言い間違いや失言となり、無意識に考えていることが表層面に現れたりします。私たちはナラティブの過程で他者の照り返しに基づき、意味に気づき、再解釈をします。一度他者を介して、本当に自分のものにしていきます。それは他者においても反転可能です。受信側は照り返しの過程で、発信側の発話を落とし込んでいきます。それはちょうど、勉強などにおいて、インプットからアウトプットを経て、初めて本当の意味のインプットに繋がることと似ているのかもしれません。
臨床現場では、ナラティブセラピーとして、クライエントが新たな自己の物語、ドミナントからオルタナティブへと可能性を拡げることを目指しているようです。私が長らく臆病で小心者から変容し、活き活きとお話させていただけるようになったのも、皆様に自分を受けとめていただけたのも、前述の理論でいけば、恐らくはこうしたナラティブによる自己開示が影響していると考えられます。個と社会を繋げる媒介としてのツールともいえるかもしれません。そのときはオープンダイアローグでの留意点にも通ずるように、結果を意図しないところにポイントがあるような気がしますね。
それから、認知療法においても、ナラティブ・アプローチが波及しており、ゴンサルベスらが提唱する認知物語療法では、物語で人が出来事を組織化し、意味を生成するための手段としています。そこでは、原型的ナラティブ(prototype narrative)を見出し、それをより精微で多様な物語へ再形成する営みがあります。深層心理学でも、ナラティブアプローチは行われています。今回でも学派を越えて採用されていることに、着目したいですね。
さて、次はまた転回して宗教学についてです。私は物語のなかで、神様について取り上げました。ちょっとギョっとしちゃいますかね。これは前回、デュルケムなどの話をさせていただいたときのあの感覚(タイラーでいう「霊的存在への信仰」つまりアニミズムです)、と考えていただければと思います。前回ちょっと話し足りなかったので、今回もその観点からお話させていただければ幸いです(ただ紙幅の関係から少しだけですが)。
まず前提として、現在私たちは先人の巨人の肩に立って世界の解像度を増して景色を眺めていられていること。そこに敬意を払い続けたいと思います。ですから、どなたかも仰ってましたが、古典にリスペクトを持ちながら読んでいくことで、自ずとそこからの遥かなる道程が見えてきて、畏敬の念と確かな足場が見えてくるのだと、私は思っております。たとえば私たちがいま懸命に何かのために働いていて、未来人がそこに思いを馳せてくれていたなら、何だか理屈じゃなく報われた想いになりますよね。物理的に繋がっていなくても、そうした敬意を今後とも大切にしてゆきたいと思います。
ところで、現代では神と言い出したなら一歩引かれることもありますが、昔は有神論者でいないと市民権が得られないほど覇権を握っている時代があったようです(目指す職位につけてもらえないなどですね)。それから時が経ち、事件などが起こり、ラディカルなものと余り区別されなくなってしまいました。つくづく時代というのは変遷するのだなと感じます。
デュルケムは原始的宗教において、「単純な組織を備えている諸社会に存在しなければならない」と述べています。これは宗教社会学の立場においてからです。続いてこう述べています。「すべての実証科学と同様に、何よりもまず我々に近接し、従って、我々の思想や行為に影響を及ぼし得る現前の実在を説明すること」と。実証科学と同様に考えている視点に先見性を感じますね。この言説の意図は、人間の宗教的性質を知らせるのは、言い換えれば人性の恒久的かつ本質的な部面を示すのに好ましいからだというわけです。つまり、宗教体系(ここでいえば「神」や「祈り」などにも変換できそうです)を詳らかにしていくことは、とりもなおさず人間の本質を詳らかにしていくことなのだというのです。その重要性を述べています。デュルケム自身においても「このような命題は烈しい批難を惹き起こさずにはいられない」と覚悟しながら、記述しています。
デュルケム的原理は、その後にトーテミズム研究のなかに織り込まれ、ラドクリフ・ブラウンやワーナー、エルキンなどにより発展していきます。フロイトにおいても「トーテムとタブー」という題目でトーテミズムを研究対象としていたほどでした。学際的に諸原理を考えてゆくことが全体的な発展に繋がるということは、当初において学者が様々な研究対象を標榜していたように、実は昔から繰り返されてきたことであると、思惟することができるのかもしれません。
引用文献:小此木啓吾著『フロイト』講談社学術文庫
佐々木宏幹著『シャーマニズムの世界』講談社学術文庫
下山晴彦編著『よくわかる臨床心理学 改訂新版』ミネルヴァ書房
デュルケム著、古野清人訳『宗教生活の原初形態(上)』岩波文庫
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?