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好きなものも、得意なものもない自分に罪悪感があります。

たぶん世間的には器用。
なんでもできるねと言われる部類の人間なんだけど・・

他人からの評価と、自分の中での評価は乖離があるものです。

私は客観性はあります。

単純に私が若いので「少しできると=すごく出来る」
「幅広い範囲で、色々できると=すごく出来るでしかないのです」

アニメを熱く語る人を見ると「いいなぁ、好きなものがあって・・」と思います。

韓流や、ボカロP が好きな人も見ていると苦しくなります。

疎外感なのかなー。
恋愛トークもそうです。

特に沈んだ顔はしないけど(場が盛り下がるから)
きゃーとなることもできず。

友達のアドバイスを聞きながら、それは絶対に違う・・。
それは自己都合で考えすぎじゃない?とか、浮気相手の文句を言うのは違うかな・・。
自分の彼氏が1番悪くない?とか、自分の正論を言いたくなることはあります。

でも実際は無言です。私もあほじゃないんだから・・・
空気読むよね💦

そして私は友達から、友達に向けられる無責任な
「絶対に美香のことが1番好きだよ」とか
「美香ちゃんのほうが可愛い」「あんなブス」とか
「相手の女から誘ってきたんだよ」という妄言を聞く。

エスパーなのか・・・この人たち。なんでも知っているなぁ・・・

でもそれで社会は回っているのです。

昔は心配してた。今もちょっと心配する。
でも多分心配はしなくていい。
彼女たちにとって、それは生きる工夫なのだ。
そう思うと少し心が優しくなれます。

私は生きるのが下手だしな。
少し見習わないと・・・と反省したりもする。
これは複雑な女心です。

私は私だけど、世間にはテキトーに合わせていかないと孤立してしまうし、目立ってしまうなぁというメタ認知です。

彼氏に振られても、そのまま二股でも・・
「ひどーーい」と言ってくれる友達がいて、マンゴーパッションティーフラペチーノさえあれば、すぐに元気になることだろう。

和栗と和紅茶のフラペチーノが発売される頃には、新しい好きな男ができて夢中になっていることだろうと思う。

でも泣いたり叫んだり、人生をかけたり・・・
それがまるで純粋で穢れがないみたいな価値観もよくわからない。
動物的だけどね・・・・
一定の嫌悪感もありますねぇ。

ふと窓の外に目をやると日が暮れてきてて・・・
「ああ、もう夏じゃないんだなぁ。日が落ちるのが早くなったなぁ」と思った。

ガラス張りの店内で反射した自分たちを見ると、私たちはショーウインドーディスプレイのようです。

綺麗だけど、つまらない。
そしてなんとなく自分だけ毛並みが違う居た堪れない気持ちになる。

ここで枝毛を探し始める私も、読書を始める私も正解ではない。

窓の外の夕日を眺める程度の自由しかないのです。