戦争の描き方、伝え方にもこういうものがあるんだ──魚乃目三太『戦争めし』
太平洋戦争を語る1枚の絵が魚乃目さんがこの一連の作品を書くきっかけになったそうです。
その絵とは「顔面蒼白で逃げるその手には銃も武器も持たず、ただ必死に飯盒を片手に持って逃げる姿が描かれてました……。(略)その老人の絵は『食べることが活きる事!』そう言ってる様に思えたのです」
こうしてシリーズ第1作「幻のカツ丼」から始まる7つの作品が生み出されました。
どれも戦争の背後にある〝食〟というものに視点を合わせて、サイレントの『しあわせゴハン』とは違った哀感(ペーソス……もはや死語?)と感動があふれてます。
それにしても、太平洋戦争での日本軍の戦死はそのほとんどが戦病死、餓死であったともいわれていますが、魚乃目さんが触発された絵を見てもそう思ってしまいます。飯盒炊飯が原則であった日本陸軍は兵士に食料を担つがせて戦地に送っていました。「食料だけで20キロ以上にもなるリュックを背負って」移動していました。30キロといわれている武器弾薬の兵装を加えれば自分の体重とかわらないくらいのものを背負って行軍していたのです。
そんなものを担いでいれば少しでも軽くしようと「食事の量を多くして荷物を軽く」しようとするのも当然でしょう。その行き着く先は、悪名高き〝現地調達〟、事実上の強奪が多かったともいわれています。そして最前線では調達するものもなく,兵士たちをまっていたのは〝飢餓地獄〟でした。
対峙するアメリカ軍は食料を持参していたのでしょうか。少なくとも制空権を持っていたアメリカ軍が大量の物資・食料を送っていたのは間違いがないでしょう。
餓えに苦しむ舞台にいた主人公は投下されたアメリカ軍の食料を発見します。ケガを追いながら、その一部を持ち帰った主人公は、指揮官、戦友のために「カツ丼」を作るのでした。ケガを負った主人公を残して部隊は出撃します。
待てども待てども戻ってこない戦友たち……。一体彼らは……。そして復員した主人公の戦後は……。
一杯のカツ丼の思いでがみなにもたらせた夢をかなえようとした「幻のカツ丼」、戦後直後の沖縄でアメリカ人をうならせた「収容所の焼きめし」、満足な食事どころか悪環境の潜水艦の中でのささやかな宴を描いた「潜水艦のおつまみ」など、どれをとってもどこかある種の幸せ感を感じさせるのはやはり〝食〟の持っている力なのでしょう。
シベリヤ収容所での「極寒のパイナップル」の奇跡(?)や「戦艦大和のラムネ」、握り寿司がなぜ今の大きさになったを解き明かした(!)「戦火のにぎり寿司」もまた、過酷さのなかにともった灯りを思わせる作品です。
戦争の描き方、伝え方にもこういうものがあるんだなあと感じさせるものでした。
書誌:
書 名 戦争めし
著 者 魚乃目三太
出版社 秋田書店
初 版 2015年8月7日
レビュアー近況:シルバーウィーク、皆様如何お過ごしでしょうか? 野中も連休を満喫しようと思った矢先、仕事場マンションの大家さんから電話があり、緊急出社。上階からの漏水で、ウチを含め階下の部屋がビショビショに。給水パットを延々絞り乾かす充実した休暇になりそうです。涙。
[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.09.21
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4147
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