「宇宙に魅力がある理由はそれが謎に包まれていることにもあります。謎は謎として楽しめばいいのです」──松原隆彦『宇宙はどうして始まったのか』
〝宇宙の始まりの謎〟は解けるのでしょうか?
「宇宙に魅力がある理由はそれが謎に包まれていることにもあります。(略)宇宙の始まりについての謎はあまりにも深く、そのような(=謎が解明されること)心配は一切ないので逆に安心してください。謎は謎として楽しめばいいのです」
こう始まるこの本は〝最新の研究でも分からないことは分からない〟というはっきりとした立場にたって、宇宙の謎に挑んだ先達の説を公平に紹介しています。そしてその解説に使われた〝例え〟が的確で、この本の魅力を引き立てています。
また、定義が曖昧なところも実に正直に説明されています。誰もが一度は耳にされたことがある〝ビッグバン〟〝インフレーション〟(「宇宙初期に宇宙の大きさが急膨張すること」)についても、そのどちらが先に起きたのかに触れて
「実は「ビッグバン」という言葉自体が宇宙のどの時期を指しているのか厳密に定義されていないため、この質問にはあまり意味がない。もし「ビッグバン」を時間や空間が誕生した時点だと定義すれば、それはインフレーションの前に起きたことになる。しかし、研究者の間では、標準ビッグバン理論における最初の火の玉のような状態を「ビッグバン」と呼ぶことが多い。インフレーションが最初の火の玉のような状態をつくり出したのだから、この場合にはインフレーションの方がビッグバンよりも前に起きたということになる」
つまりは定義、すなわち「これは単なる言葉の問題でしかない」ということになります。定義者によって意味が異なるというのは、どこか観測者の影響を無視できない不確定性原理みたいです。
「観測するかどうかを決めるのは人間の意思である。そうなると、人間の意思が粒子の振る舞いに致命的な影響をおよぼしている。古典物理学では、人間の行動とは関係なく世界が動くことになっているが、量子論では、人間の行う観測行為が致命的に世界の振る舞いに影響してしまっている」
この著述にとても松原さんの、この本の特長が出ているのではないかと思います。
最近の宇宙論の本ではあまり数式が出てくることはありません。松原さんも数式は使っていません。けれど、他の本が数式を言葉に置き換えただけになりがちなものに対して、松原さんは根本的な思索・思考を前面に出しているように思います。
「そもそも宇宙とは何なのだろうか。中国の古い文献『淮南子』によると、空間のことを「宇」と呼び、時間のことを「宙」と呼ぶ、とされている。(略)このことからすると、宇宙がない状態だという「無」とは、時間と空間がどちらもない状態だということになる。想像力の限界をはるかに突き破ったことを言っている」
そして松原さんは「無」というものの正体(=状態)、それが意味するところのものの解明に向かいます。現在の宇宙論の基本と考えられている量子論、相対性理論、ストリング理論、多宇宙論、参加型宇宙論(情報宇宙論)などの意味合いを突き詰めながら一つ一つ、その意義と残された疑問を明らかにしてきます。この論述はとてもスリリングです。ページをめくる手が止まらなくなると思います。
また論述の中でみられるこのような部分
「ホィーラー・ドウィット方程式(「宇宙の誕生直後を表すかもしれない方程式」だそうです)というのはあまりにも複雑すぎて、一般的な解を求めることが絶望的に難しい代物なのだ。それだけでなく、さらに方程式自体をどのように解釈するべきか、という基本的なことすらも判然としない。つまり、方程式を立ててみたのは良いが、それをどうしたらよいかわからないという状況になっている」
そこに松原さんの意図せぬユーモアすら感じてしまいます。
ここには存在を前提としている〝有〟が、その存在以前(未然)である〝無〟をとらえること、考えることの難しさをあらわしているのかもしれません。すでに〝無〟である状態で無い〝有〟が、〝有〟を生み出す前のことを思考できるかということだと思います。松原さんのいうように、どこか仏教を思わせる思考だと思います。〝無〟であることを思考対象とするということは、〝無〟それ自体が既に何かの〝有〟、〝無が有る〟という〝有〟の状態になっているといえるのかもしれません。
最終章に記された「十分に賢いプランクトン」の寓話は素晴らしいものです。ぜひご自分の目で確かめてください。根本の(量子論にも現れた)観測問題がとり扱われています。そして「無限の空間の永遠の沈黙が私に怖れを抱かせる」というパスカルの言葉と「無知の知」というソクラテスを思い起こさせてくれる一冊でした。
そして今、惑星誕生以前の状態を残している準惑星、冥王星が、話題のハートマークとともにその姿を私たちの前にあらわしてきました。きっとひとつの謎が解けるに違いありません。そしてそれはまた新たな謎の発見につながるものなのかも知れません。無から有へ、そして恒星、惑星、衛星、ブラックホールを生みだした宇宙。それは松原さんが言うようにさまざまな謎が深まること自体が私たちを惹きつける魅力のもとにもなっているのだと思います。
書誌:
書 名 宇宙はどうして始まったのか
著 者 松原隆彦
出版社 光文社
初 版 2015年2月20日
レビュアー近況:Amazonのprime day、野中は端末のミラーリング用にchromecastと激安のウクレレを。昼前にchromecastは到着。ジェイク・シマブクロさんなのか牧伸二さんなのか、レジェンドを思い浮かべながらウクレレの到着を待っています。
[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.07.15
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=3753
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