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貧困に対して真剣に向き合わない国に未来はない──藤田孝典『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』

安倍首相がいう名目GDPが600兆円になるという未来の日本とこの本に描かれた「一億総老後崩壊」の未来の日本とどちらがよりリアルに感じられるかというと間違いなく「一億総老後崩壊」ではないかと思います。

「一億総活躍社会」というものにもイメージやキャッチフレーズ(言葉)以上のものは、残念ですが感じられません。誰もが〝老後崩壊=貧困問題〟に直面しかねないのです、ごく一部の富裕層以外は……。

この〝下流老人〟は私たちにどのような問題をもたらすのでしょうか……、
「親子二世代が共倒れになる危険性があり、また高齢者や他者に対する尊重の念やこれまでの価値観が崩壊する怖れもある。さらに現役世代の消費が抑制され景気に悪影響をおよぼしたり、少子化を加速させる要因にまでなるのではないか」。つまり「下流老人の問題は、高齢者だけではなく、全世代の国民にかかわる問題」なのです。

トリクルダウンなどというもので貧困問題が解決できるとは思えません。ましてや〝下流老人〟にはそれを待つ〝時間〟もあるはずがありません。
貧困問題(=生活保護)に対して私たち(の政府)が十分な対応をしているとは言いかねるのが現実です。それどころか、「生活保護に関して言えば、「貧困に陥ったのは自己責任だ。だから生活保護を受給するのは甘え」という論調」すら感じられるのです。

この自己責任論は「ISによる日本人人質殺害事件でも(略)大きく取り沙汰」されました。「冷静に考えれば、拉致された「被害者」であることは明らかなのに、なぜか「日本国民に迷惑をかけた」と批判の矛先が弱者に集中していしまう。この理屈が、生活保護批判と類似していることは言うまでもない。結局、下流老人を含めた貧困も「自己責任だ」で片づけられ、社会的な解決策を講じることを否定する人は、周囲にたくさんいる」
静かに藤田さんは続けます、「それならばわたしたちが支払っている税金とは、一体何のためにあるのだろうか。税金を、株式か何かの投資と同様に捉えてはいないだろうか」と……。
「「健康で文化的な最低限度の生活を営むこと」や「個人の生命が守られること」は、すべての人に与えられた「権利」でありる。それを守るために税金の存在意義があるということを、わたしたちは理解しなければならない」「あたかも真に救うべき人間(とそうでない人間)がいるような論理を通用させてはならない」のです。
もちろん貧困は経済的な問題だけではありません。政治の問題であり、私たちの倫理のもんだいです。そして貧困は差別を生むことにもなります。

〝下流老人化=貧困〟を「自己責任論」で片づけてはなりません。次世代への負担減ということで、目前の〝下流老人化〟を容認し、〝下流老人〟を増やしているように思えるのは政治の劣化でしかありません。
たとえばそれは、雇用、社会保障の不備であり、それを黙認するかのような姿勢はまさしく政治=行政の責任だと思うのです。まさしく「下流老人は国や社会が生み出すもの」なのです。

貧困は連鎖します。下流老人が世代を超えて貧困を生み出すように、格差が拡大し固定化されていきます。
今の社会システムには不備があります。それをどのようにしていくのは藤田さんはいくつもの提案をも述べています。傾聴すべきものです。

「貧困に対して真剣に向き合わない国に未来はない。貧困による悲惨な現実を直視し、当事者の声から社会福祉や社会保障を組み立て直して」いかなければならない。それは待ったなしの課題であることを痛感させられた1冊でした。

書誌:
書 名 下流老人 一億総老後崩壊の衝撃
著 者 藤田孝典
出版社 朝日新聞出版
初 版 2015年6月30日
レビュアー近況:昨夜(及び本日未明)、日本代表のイランとの親善試合とオランダのEURO2016予選最終節を観ました。どちらもミスの連続でストレスの溜まるゲームでしたが、オランダは遂に本戦出場を逃すコトに。それぞれ「驕り」と一蹴する向きもありますが、日本についてはボランチの山口蛍・柴崎岳両選手の成長に、命運が掛かっている気がします。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.10.14
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=4263

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