自分が輝く場所―置かれた場所では咲きません
渓流の中にある美しい石。
手を伸ばして渓流から取り出すと、急速に輝きを失って「ただの石」になってしまう。
渓流の中にあった「あの美しさ」をそのまま手に入れることはできない。
渓流の中にあるからこそ、その石は美しいのだ。
全国ネット局の人気アナウンサー。画面の中でいつもキラキラ輝いていた。
ところが、テレビ局の社員という立場を捨ててフリーになったら、「あの輝き」が失われた。1年もしないうちに露出が減って、鳴かず飛ばずの状態に。
アイドルグループの人気ナンバーワン歌手。
歌もうまいし、笑顔もパーフェクト。
グループの中でもひときわ輝く存在としてソロデビュー。
ところが・・・
もちろん、フリーになってさらに活躍したアナウンサーはいるし、ソロデビュー後にさらに大きな花を咲かせたアイドルもいる。
渓流から取り出しても、その石の美しさがそこなわれないということもあるのだろう。
* * * * *
「大学教授」という肩書がある私は、定年を迎える4年後に「ただの人」になるのだろうか。
それとも何か新たな輝きを手に入れることになるのだろうか。
学校の中のイケてる先生が、学校の外に飛び出したら、さらに輝きを増すことになるのか。
あるいは、輝きが失われて「ただの人」になってしまうのか。
「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子の言葉は、今の時代に合わなくなっているのかもしれないから、花を咲かせることができる場所を探すこと、そのために動くことは大事である。
居場所を変えたり、組織を離れたり、外に飛び出したり、しがらみを振り払ったり・・・
ただ、咲いているのに場所を変えてしまうことで、花が散り、根腐れを起こすこともあるに違いない。
おのれの花の状態を自分で把握し、咲くべき場所がどこであるのかを的確に知ることは、なかなかむずかしいことなのだ。
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