
アメリカ100年の物語―「万延元年のフットボール」
令和5年3月3日、88歳で逝去したノーベル文学賞作家の大江健三郎が書き残した数多くの小説の中で、きわめて高く評価する人が多い長編小説に『万延元年のフットボール』(1967)がある。
万延元年とは?
万延元年(1860)というのは、勝義邦(勝海舟)、中浜万次郎(ジョン万次郎)、福沢諭吉を含む遣米使節団の一行96名が、「日米修好通商条約」の批准書交換のために咸臨丸に乗り組み、太平洋を横断してアメリカに渡った年として知られている。
また、「日米修好通商条約」を結んだ井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起きた年でもある。桜田門外の変は、幕末の尊皇攘夷運動が激化するきっかけを作った事件である。ペリー来航という外圧に屈して条約を結んだ政府を倒すために起きたクーデター未遂事件と言ってもよい。
フットボールとは?
フットボールとは何か。
イギリスでフットボールと言えば、サッカーかラグビーのことを指す。
Jリーグ誕生後の日本においては、フットボールと言えばサッカーのことを想起する人が多いだろう。
しかし英和辞典でいちばん初めに出てくる語義は「アメリカン・フットボール」である。
『万延元年のフットーボール』が発表された1967年当時、「フットボール」という外来語を聞いた日本人が真っ先に思い浮かべたのも、おそらくアメリカン・フットボールである。
「万延元年」も「フットボール」も、「アメリカ」という言葉を連想させる単語である。
1860年〜1960年
万延元年(1860)からちょうど100年後の昭和35年(1960)は、安保闘争の年である。日本が独立した昭和26年(1951)に結ばれた条約が改訂され、現在もなお効力を有している新しい日米安全保障条約が締結された年だ。
万延元年(1860)も昭和35年(1960)も“対米屈従政策”と“反米闘争”がねじれを孕んで渦巻いた年であり、『万延元年のフットボール』という小説の基本的な枠組には、《1860―1960》という“アメリカ100年の物語”がある。
安保闘争“敗戦後”のサルダヒコ
『万延元年のフットボール』の作品内現在は、安保闘争“敗戦後”の世界である。
主人公の「僕」(=蜜)も弟の鷹四も、安保闘争の挫折感を抱えて生きている。
そして、『万延元年のフットボール』は、安保闘争“敗戦後”の世界で奇妙な自殺を遂げた「友人」に導かれて始まっている。
「死者にみちびかれて」と名づけられている第1章で、不思議な感覚に襲われて夜明け前に目覚め、ふらふらと庭に出た「僕」は、「浄化槽をつくるために掘った直方体の穴ぼこ」の底に梯子段を使って下りていき、地面に尻をつけてすわりこむ。村上春樹の小説に出て来る「井戸」を思わせるような穴ぼこの底で、友人の死を「観照」した「僕」は、次のような出来事を想起する。
この夏の終りに僕の友人は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜(きゅうり)をさしこみ、縊死(いし)したのである。深夜までつづいたパーティから、病気の兎のような衰弱ぶりで戻ってきたかれの妻が、夫の不思議な縊死体を発見した。(中略) 係官の調査の終わったあと、朱色の頭をして素裸の、腿には生涯の最後の精液をこびりつかせた、まさに救助しがたい死者の世話のすべては、僕と、友人の剛毅な祖母とがしたのである。
「異常」としか言いようのない死に方である。
いったいどういうわけで、頭と顔を朱色に塗り、肛門に胡瓜をさしこんだのだろうか。
いったいどういうわけで、こんな死に方をした人間のことが描かれているのだろうか。
手がかりとして挙げられるのは、次のような一行である。
―サルダヒコのような、と死んだ友人の祖母が脈絡のないことをいった。
友人の祖母が発した「サルダヒコ」ということばの意味を、それを聞いた瞬間の「僕」は明確につかめない。しかし、夜明け前の穴ぼこの中で観照したとき、「サルダヒコ」が日本神話に登場する「猿田彦」であることを明確に意識する。
さて、サルダヒコとは、いったい何者なのだろうか?
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