論文の形式―前世紀の遺物?
現在12のゼミがある都留文科大学文学部国文学科において、横書きの卒業論文が提出されているゼミは2ゼミにとどまる。マイノリティである。
そこで「先生のゼミはみんなヨコ書きなんですか?」というような質問を受ける仕儀となる。
当然のことながら、外の世界に出ると、「先生のところではみんなタテ書きなんですか?」という質問を受けるわけだ。
問題は、ヨコ書きかタテ書きかという話にとどまらない。
論文の形式については、どのような専門分野であれ、論文の執筆要領が定められて厳守することが求められる。守らないと指導を受け、場合によっては叱責され、ひどい場合は恫喝される。
ただし、アカデミックな論文作法というものは、基本的には学会ごとに定められるローカル・ルールであり、広く採用されているハーバード方式とかバンクーバー方式などでさえも、その名称からもわかるように、もともとはローカル・ルールである。
参考文献を示す方法についても、APA スタイル、MLA スタイル、AMA スタイル、シカゴスタイルなどがあるが、APA スタイルはアメリカ心理学会、MLA スタイルはアメリカ現代言語協会、シカゴスタイルはシカゴ大学出版局が定めたものである。すなわち元来はローカル・ルールである。
しかもこれらは、1847年から1929年にかけてつくられたもので、前世紀の遺物どころかもはや「前世紀の前世紀の遺物」であるとすら言える代物だ。19世紀に定められた論文作法を墨守することに、いったいどれほどの正当性があるのかということについては、そろそろ理性的かつ冷静に検討する必要がある。「学術論文作成のために推薦するスタイル」という程度にとどめるというのであればともかく、些末なルールを設定して厳格に守ることを要請し、ルールを知らない者を「不勉強!」と叱責するような前時代的な教育制度を是とするような態度は改めるべきである。時代に合わせてアップデートすることが必要なのだ。
一方で、縦書き漢数字で書誌情報を表記するという文学部国文学科的な「ローカル・ルール」も、グローバル・スタンダードではないなどという理由で排除されたり同化を迫られたりすべきではない。
J-Stage がスタートした頃、論文から書誌情報を自動的に抽出してリンクを貼ってくれるという機能が実装されるという話を説明会で聞いた私は、思わず「縦書きジャーナルにも対応してもらえますか?」と質問した。すると「・・・・・」という感じの絶句と冷笑に遭遇したわけだが、テクノロジーが発達した今、縦書きであろうと漢数字であろうと、旧漢字であろうと変体仮名であろうと(?)、いずれ何とかすることができるはず…である。
「一字下げをしない学生が増えている」とか「引用部分のインデントが2字分しかないのは違和感がある」とか「全角算用数字を使うというのはどういう神経なのだ」などなど、専門分野ごとに書式に関する問題でいちいち慨嘆したり憤慨したりするのは、そろそろやめるべきだろう。
そもそも論文の書式とか書誌情報とかが、何を目的として定められたのかというところまで思考を引きもどし、「学術論文の再定義」と「学術論文のアップデート」が必要な頃合いである。
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