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テクスト論から見たAIと著作権―2度めの「作者の死」

はじめに

AI(人工知能)、とりわけ対話型生成AIの著しい進化によって、言語による知的生産物の領域で「人間にしかできない」ことが急速に見失われつつあります。
これは、別の言い方をすれば、人間による言語的生成物とAIによる言語的生成物の境界が曖昧化しているということでもあります。

こうした状況は、著作権の問題にも大きな影響を及ぼしています。

テクスト論と「作者の死」

テクスト論は、作品が独立した存在としてではなく、言語体験や文化的な要素の「引用の織物」であると主張します。
たとえば、芥川龍之介の「羅生門」は、今昔物語集や方丈記などの古典文学をはじめとする、先行するさまざまな言語的生成物の影響下に形成された多元的な存在です。
たとえば、「或日の」という言葉が選択されると、選択された言葉の影響のもとに次の単語として「暮方」という単語が選択され、「暮方の」という文節が生成され、最終的に「或日の暮方のことである。」文が生成されます。
同じようなプロセスを経て、「一人の下人が、 羅生門の下で雨やみを待っていた。」という文が継ぎ足され、さらに言葉が紡ぎ出されて場面が生成され、一編の小説が完成します。
使われる単語や構文は、芥川龍之介の「発明」ではありません。
すでに存在している言葉や構文を下敷きに、すべての叙述が展開されます。
文学作品は過去の多様な言語体験の「引用の織物」として形成されるというのが、テクスト論の基本的な考え方です。
この考えは、作品を生成する主体、すなわち「作者」が創造性や独創性によってゼロから作品を生み出すという従来の考え方に再考をうながすものでした。

ChatGPTと芥川龍之介

文学作品が過去の多様な言語体験の「引用の織物」として形成されるとするなら、そのプロセスは、ChatGPTに代表される対話型生成AIが文章を生成する手法に類似しています。
大言語システムとしての対話型生成AIも、膨大なデータセットから言葉を選び、それに続く単語やフレーズを生成していきます。
芥川龍之介もChatGPTも、何らかの既存の「テクスト」に依存した形で「創造」をするという点では同じなのです。

著作権と文化発展

著作権法の究極的な目的は文化の発展です(著作権法第1条)。
著作権者の保護というのは、じつは第二義的な問題です。
AIが「著作物」を生成することが可能になった今、従来の著作権法の有効性について、あらためて考え直す必要があります。
そもそも「著作物」とは何か、「著作権」は何のために存在するのか、「文化の発展」にとって「著作権」はどのような意味を持ってきたのか、これからどういう役割を担うべきなのか・・・エトセトラ,エトセトラ…

テクスト論と対話型生成AIは、作品生成のプロセスにおいて共通の側面を持っています。
これは、著作権法の適用、特に「創作性」や「独創性」という概念に対する新たな問いを投げかけるものだと言えます。



下書き作成ログ by ChatGPT



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