誘拐と、やさしさと、ハンバーガー
涙には、いろんな温度がある。味がある。滲んだ視界のその先に、見えていた景色がある。
でも、それは刹那的で、なまものだから、その時に言葉にでもしておかないと、意外と忘れてしまったりする。
大学生から社会人になり、私は涙を流すことが一気減った気がしたのだけれど、2ヶ月ほど前、涙が止まらなくなったことがあった。
それは、映画館で「千と千尋の神隠し」を観ている時だった。序盤の方で、神隠しにあった千尋が、ハクからおにぎりをもらって大粒の涙を流すシーン。あのシーンを観た時、千尋以上の涙をボロボロと流している自分がいた。自分でも引くくらい、むせび泣いていた。
画面の中にいる千尋やハクはぼやけ、その代わりとても鮮明に、4年前の夏の記憶が蘇ってきた。泣いたのは、おにぎりを食べる千尋とまったく同じ状況にいた大学生の時の自分が重ね合わさったからだった。
(神隠しにあったわけではない!)
新しい土地で、人のやさしさに触れたとき。
そのやさしさの象徴がおにぎりで、千尋の不安をゆっくりほどいていったから、千尋は安堵で涙が出たのだと思う。
私は、スウェーデンという異国の地に留学した時、初めて心が反応して、千尋のように泣いた時があった。ずっと取っておきたい、大切な思い出だ。
あの時の感情に、今の私が名前をつけるならどう表現するかなぁ…ということで、振り返ってみようと思う。
スウェーデンで初めての一人暮らし
4年前、スウェーデンに降り立ってから1ヶ月ほどたった時のことだった。
ある朝、自転車がパンクした。私が住んでいたのは、とても小さな町で、移動手段はバスが自転車だった。バスは高いので、自転車がどこへ行くにも大切な足となる。
その大切な相棒が、ぺったんこになってるどころか、中のチューブみたいのがだらしなく出ていて、見るも無惨なかんじになっていた。
中古だったしな…自転車屋さんで直してもらおう…と思って自転車を押しながら歩いて2分後。腸みたいに出たチューブが絡まって、後輪が動かなくなり。
仕方なく近くにあったハンバーガー屋さんに行って、そこに自転車を停めて目的地まで歩いていくことにした。そしたら、そのお店のテラス席にいたおじいちゃんと、その隣にいたちょっと強面のにいさんと目が合った。
「大丈夫か」
スウェーデン語っぽくはない訛りの入った英語で、話しかけられた。
「えっと、自転車が、壊れたんです…」
そしたら強面にいさんがどこからかペンチやらポンプやら持ってきた。
おじいちゃんが慣れた手つきで、ねじをぽいぽい外していく。あっという間に自転車は解体された。
英語が全然通じない。見た目は中東出身っぽい2人。
「どこから来たの?」とスウェーデン語で聞いたら、「コソボ」と返ってきた。
バルカン半島にあるコソボとは私はあまり縁がなく、その時はピンと来なかった。歴史の教科書で、少し触れたくらいだった。
そのあと英語で話しかけても「大丈夫」とスウェーデン語でしか返って来ない。
ちょっと不安になった。
その後も、なかなか修理はうまくいかない。イライラしてきたのか、おじいちゃんがすっごい大きな声で、何語かわからない言葉で強面にいさんと話し始めた。
…まってまって、これ、自転車直ったところで、すごいお金請求されるやつだ。そうだ、ここは日本じゃない。海外なのだ。スウェーデンのゆったりした美しい風景の中で、私は完全に油断していた。
なにやら揉めている。
強面にいさんを見ると、腕にデカめのタトゥーが彫られてあった。
超いかつい。
そしてふと自転車を見たら、おじいちゃんが車に私の自転車を積んでるじゃあありませんか!
いや勝手に!なにやってるのおじいちゃん!
「いいから車乗れ」という仕草をするおじいちゃん。
不安で、身体がこわばった。
硬くなる身体の中では、どこかで彼の優しさを信用したくて、でもやっぱり疑いがあって。
「急いでるんだろう?はよ」的なことを言われ、直感で、彼を信じた。
信じたかった、という方が近いかもしれない。
私は助手席に乗った。スピードはどんどん加速する。
不安も一緒に加速した。
車のドアの鍵を確認する。ちゃんとロックがかかっている。
やばい。かも。
「私、予定あるの。早く降ろしてほしい!その修理屋やさんってどこなのじいさんよ!オイ!」と英語で言ったけど、肩をぽんぽん叩いて「大丈夫」とスウェーデン語で返される。
大丈夫、ではない。
こ、これは、誘拐されてるのか…?
強面にいさんの腕に刻まれたドクロのタトゥーがフラッシュバックした。
あぁ。
どうやって逃げようか。
苦しくなった。
通ったことのない道に入った。車は止まった。
おじいちゃんが降りた。私も慌てて助手席から降りた。降りられた…!
誘拐はされてなかったみたい。
おじいちゃんが自転車を降ろして運ぶ先に、自転車のマークが見えた。安心して、脱力した。と同時に、疑ってごめんと思った。
無事修理が終わり、財布を出そうとしたら「大丈夫、大丈夫」とお会計を遮られた。
展開についていけず、感情が整理できてなかったけど、彼のあたたかい優しさが本当に嬉しくて、ありがとう、一生忘れないよと言って、ハグをした。
GO GO!と言われ、自転車にまたがった。パンクする前よりもペダルが軽くなってる気がした。風を切ってるとき、自分がかいていた大量の冷や汗に気付いた。
夜ご飯は、ハンバーガー
予定が終わり、家に帰る途中ハンバーガー屋さんの前を通ったら、テラスに強面にいさんがいた。けっこう暇そうだった。
「今日の夜ご飯は、ここのハンバーガー屋さんにしよう」
そう思い、お店に入った。強面にいさんはここで働いてるらしい。ちょっと高めのハンバーガーを頼んだ。お肉がジューシーで、ポテトにかかってるスパイスがガーリック風味で、とっても、おいしかった。
食べてたら、おじいちゃんが帰ってきて、今朝会ったばかりなのに感動の再会のような熱いハグをした。
おじいちゃんがポテトをどさっと追加してくれたと思ったら、ジュースを1本くれて、かと思ったらタダでコーヒーまで出してくれて。おばあちゃん(妻)も出てきて、りんごを2つくれた。
スウェーデン語で話しかけられ、分からないなぁと思っていたら強面にいさんがスマホの画面を見せてくれた。
「Google translation」の 文字の下に、
"These apples are from her farm" と書いてある。
おばあちゃんの農園からもぎたてのりんごだった。
なんでこんなに優しいの?と聞いたら、強面にいさんがニッと笑いながらスマホに打ち込み、
"They really like helping people"
と書かれた画面を見せてくれた。
"Tack så mycket!! (本当にありがとう)"
って言ってハグして別れて、家に帰った。
ベッドに座って、真っ赤なりんごを見ながら、今日出会った3人の優しさを思い出していたら、あたたかい涙が頬を濡らしていた。
あんなに涙が止まらなかったのは初めてだった。おじいちゃんの "inga problem (大丈夫)" が何回も脳内再生された。
やさしさは、つながっていく
私の好きな言葉を、最後に。
人は自分がしたやさしさは忘れたがらないけど、
人は人がしてくれたやさしさを絶対忘れないから大丈夫。
自分がしたやさしさは、忘れて大丈夫。
人が思い出してくれるから。
後日おじいちゃんと話したら、彼らはコソボからの難民でスウェーデンに移り住んだようだった。
スウェーデンには、多くの移民・難民の方が移り住んでいて、人口の4人に1人は他の国の血が入っている混血の人だと言われている。
「多様性」という言葉では収まらないくらい様々なバックグラウンドを持った人が生きている国だと気づくのに、1年間の留学は長いくらいだった。
おじいちゃんたちも、スウェーデンに来た時に、誰かにやさしくしてもらったのかなぁ。
だからあんなにやさしくなれるのかなぁ。
新しい土地で暮らしていく、って簡単なことではないかもしれない。
私は留学生としてスウェーデンを選んだけど、おじいちゃんは選ぶこともできずに命からがら、北へ北へと逃げて、スウェーデンに辿り着いたのかもしれない。
ただ共通していたのは、文化も、言語も、宗教も違う場所で、きっと誰かにやさしくしてもらったということなんだろうと、今振り返って思う。
部屋で涙を流したわけは、誘拐されなかったことからの安堵やりんごをもらったことへの感動ではなく。
言葉を超えて、国を超えて、やさしさで心がつながった瞬間に出会えて、生きていく力をもらったからだった。
泣いたあとは、少しだけ、強くなれたような気がしたんだよと、今おじいちゃんと強面にいさんに伝えたい。
やさしさは、つながっていくなと思った。
つなげていかなきゃ、とも。
みなさんにとって、明日もいい1日になりますように!