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好きリストを作って、”好き” を外在化する

谷川俊太郎。
私が好きな詩人のひとり。

小学校の教科書にも、彼の詩がたくさん載っていた。
音読すると、心地よいリズムを感じる、もっと声に出して読みたいと思える、身体が喜ぶ詩を書く人だ。

詩だけでなく、他にもスイミーやスヌーピーの翻訳もしている。
すっと身体に染み込む、優しい日本語だなぁと思ってたけど、谷川俊太郎産だったんだ…!とびっくりした時のことは忘れない。

ちょうど2年前、だんだんあったかくなってきた春の日に、母と二人で東京オペラシティで開催されていた「谷川俊太郎展」に行った。今まで行った展示の中で、一番心に残っているものだったので、今日はそれについて書こうと思う。

控えめに言って、最高だった

こんなにも日本語は美しいのかと、彼の言葉を前にして、恍惚としてしまった。

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空間の使い方が、とってもモダンで、新鮮だったなぁ。

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等身大の谷川俊太郎がパネルになって、立っていた。
スモールサイズの、かわいいおじいちゃん。

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詩を体験できる空間だった。

ことばが音となって雨のように降ってきて、自分の目の前を川みたいに流れて。かと思ったら静かに佇む岩のごとく威厳を放っていて。

詩はただの活字じゃないな、と。詩の持つ奥行きを感じた。

私が展示で出会った詩の中で一番印象に残ったのは、「好きリスト」という詩。気になる方は、ぜひ読んでみて下さい。(いろんな詩集に載ってる!)

読み終わった瞬間、私も好きなものを自分の中に閉じ込めておくだけじゃなくて、ちゃんと言葉にしたいと思った。

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”好き” とは

展示を見終わった後、衝動的に谷川俊太郎が出している「好きノート」という本も買ったんだけど、そこに書いてある文章にいたく心打たれたので、ここにちょっと引用する。

「好き」は「愛」よりも気軽に使えるコトバだし、明るく肯定的なコトバだから、一種透明感がある。
赤ん坊のとき、人間はこの世界に存在する何もかもが基本的には好きだったんじゃないかな。
たとえ大声で泣きわめく時があるとしても、赤ちゃんの笑顔を見るとそう思っちゃう。
育つにつれて苦しみ、悲しみを知ってゆくのは避けられないけれど、
何かを誰かを好きになることは、生命の原動力だと思う。

好きになるという行為を、”生命の原動力” と言い切る俊太郎…!

彼は、たっくさんの「好き」に囲まれて生きてきたんだろうなぁ。

よし、私も好きリストを作ってみよう…!と感化されたので、漠然と好きだなーと思うもの、アドレナリンがどくどく出たり、オキシトシンに包まれるような瞬間たちを、すごいランダムに書き連ねてみた。

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詩っぽくなるとすごい自由に書いていい気がするし、ラップでもないので韻を踏まなきゃ!って頭をひねることもないので、ただただ並べただけではあるけれど。

朝日を浴びる枕に顔をうずめる瞬間が好きです。
ベッドを降り、重力とは反対の方向に伸びをしたときに感じる鈍い痛みも。
好きな人からの返事を待っているのも、そわそわするけど悪くない。
ゆずシトラスティーの底にたまった濃厚なゆずの蜜、好き。
映画の本編が始まるとき、照明が暗くなっていく瞬間も、好き。
水泳の後の、国語の時間も好きだなぁ。幸せそうな寝息が聞こえる。
コインランドリーの前を通り過ぎるときにふわっと鼻に届く洗剤の香りも、たまらない。
ドビュッシーの奏でる不協和音も、好きすぎる。
シャッターを切るあの音も、とても好き。
今日も、眠りに落ちていく瞬間を好きになるんだろう。
好きなものを好きだと好きなだけ考えている今も、好きです。

好きリストを書くだけで

好きなものをこうやって書き出して外在化すると、自分が好きなものに囲まれてすっごく幸せになれる気がする…のは私だけでしょうか。(自己満足😊)

谷川の俊太郎が言うように、”生命の原動力” となるものが、ちょっとだけ湧いてきたような。

じんわり、あったかい春。
この休日に、好きなものをリストにして書いてみては!

みなさんにとって、明日もいい1日になりますように!

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