花を生けるということ。人生初の生け花体験記
2019年が終わる頃、人生で初めて、花を生けた。
正解のない、美の世界。
実際に踏み入れた、というよりは、底が見えないくらい深い湖に、ほんの少しだけ指を浸したような感覚。
1日では計り知れない奥深さが、確かにあった。
私自身、花を生けることや華道に親近感があったわけでもなく、なんならただただハードルが高そうだなと思って敬遠してたものだったのだけれど…
やってみたら、すっごく面白くて。
何かを語るにはおこがましいけど、なんとも素晴らしい時間を過ごせたので、noteに書き残そうと思います!
生け花の第一歩
誘ってくれたのは、とても素敵な感性を持っている、同じ大学のお友達。
服装からしてなんだか”天才感”が出てる彼は、生け花においてメキメキと頭角を現しているらしい。
当日は、数人の友達と一緒に、生け花の先生のご自宅にお邪魔した。
私たちまで明るくなるような笑顔が印象的な先生はさっそく、今回はこのお花です、と紹介してくれた。
茎が長くすらっとした白い菊とほんのりと黄色く色づいたバラ、そして緑の葉っぱがあった。(ボキャ貧)
先生がデモンストレーションを見せてくださった後、まずは花器を置くことから始まった。
1人ひとつずつ半月を縦に伸ばしたような形の花器が渡され、自分の前でああでもないこうでもないと角度を変えながら、ベストな角度を探す。これも、理論とかはなくて、自分の「なんかいいな」という角度だ。置いたら、剣山にお花を生けていく。
頑丈な針に、茎が刺さって、お花が重力に対してまっすぐ垂直に立った時、なんだか自分の背筋も伸びたような気がした。
さくっ、という小さい音を聞きながら、
ゆっくり、じっくり、生けていく。
目の前で創られていく空間そのものに、私は一気に吸い込まれていった。
「大切なのは」
と先生が口を開く。
「生け花において大切なことは、上手い下手、センスではなく、
”作品の中に、空間をつくっていくこと”
”あくまで花が主体で、人は花の美しさを引き出す役割であること”
そして、”花の音を聴いてみること”
なんです」
たまに、天才的なものを持っている人もいますがね。
そう言って、ふふっと笑いながら友達の方を見る。
天才的に花を生けることができる人ってどんな風に生けるんだろう。たぶん彼にだけ聴こえる音があるんだろうなぁ。すごい境地だ。
「まぁ今は一旦理論とかは置いておいて、花の音を聴いてみてください。」
…花の音を聴いてみる、という少し詩的な表現を聞きながら、このぴんと張ったほどよい緊張感のある部屋の中ではなんだかできそうかも…と思えた。
私の名前「かのん」はひらがななんだけど、生まれる前に親は「花の音」と書いて「花音」にしようかと迷ったらしい。
そんな話を思い出し、なんだか一気に花との距離が近づいたような気がした。
花を見て、嗅いで、聴いて、触って。
閉じていた五感が、蕾がゆるやかに開いていくように、解かれていった。
(下の写真は、実際に使った菊!夕陽を浴びています)
生ける、とは
先生が順番に周り、それぞれの人の花を見ていく。
「もうちょっとこの部分は切った方がいいかもね」
「葉っぱのこの部分、すごい綺麗だからもっとその美しさを引き出してあげましょう」
「ここ、少し混んでるからこうずらしたほうがいいかな」
花がより美しくなるアドバイスをいただく。
ちょっと位置を変えただけで、花がパッと明るくなったり、葉っぱが艶かしく撓ったりした。すごい。
花の表情をうまく引き出すことが、人間の役目なのかぁ、とちょっとずつだけど分かったような気がした。
そこは、カメラと似ている。
被写体のいいところ、そのものをたらしめるもの、核になる大切な部分、を引き出して、その一瞬を切り取る。
逆に写真と違うなと思ったのは、被写体の美しさを引き出すと同時に、自分の五感をフルで使いながら空間を創れるということ。そして、自分の手を離れた瞬間、ぴたっと空間が固まる。氷の中に入ったように、一瞬で。不思議な感覚だ。
できあがったのはこれ!
「鳥みたいですね!自由なかんじ」
と先生に言われた。
同じ花と葉っぱを使っても、人によってできあがるものは全然違った。
まっすぐに空高く、全体が凛と伸びていくものもあれば、ずっしりと深いところまで根を張っていそうなものもあり、今にも草花が踊りだしそうなものもあった。
その人の個性が、作品に出るんだなぁ。
感じたよ、わびさび的なサムシング
生けたあとのお花は、ずっと先生のお部屋に飾っておくこともできないので、解体することになった。
ぎゅっと凝固された空間は、剣山から花を抜くと同時にほろほろと溶けていき、ものの数秒で跡形もなくなった。机の上には、空っぽの花瓶と花がぽつんと残っている。儚い…。
私が手をつける前と同じ状態に戻った時、切ないような、でもなんか趣深いというか。そんな感覚を覚えた。
これがあの巷でよく言う「わびさび」?
…あれなのか!?
ドライフラワーを使ったフラワーアレンジメントは何回かやったことはあるけど、西洋的な価値観が礎になってるそれは、花で空間を埋めていく「足し算の美学」なんだって。花を盛って、限られた空間に華やかさを持たせることが大事。
それに対して、なるべく少ない数の花や草を使って空間を創っていく「引き算の美学」を体現しているのが生け花。アレンジするというよりは、草花が持っている良さを引き出す、ってかんじ。それらが生む「間」も作品の大事な一部になっていると感じた。
花を生けることは、花を生かすことでもあり、
「生け花」という日本語にとてもしっくり来るものがあった。
こんなところで、東西の美意識の相違を感じることができるとは!
忙しい日常に、生け花というメディテーション
生け花って、ヨガに似てるかも。
ホットヨガでバイトしている私は、ヨガをする時の「今、ここ」に集中する感覚を思い出した。
自分の目の前にある花をどう生かそうか。
花びらのすべすべした肌触りや、葉っぱの葉脈の強さ。茎のしなり、ほのかに香る土の香り、花瓶の滑らかな曲線。
それらを感じる自分の感覚に集中して、淡々と、生ける。
一種のメディテーション効果があるんじゃないかなぁ。
日常生活で自然に触れる機会はあまりないけれど、遠くの大自然に行かずともこうやって小さな自然と向き合える時間はとっても貴重に感じられた。
社会人になったら、本格的にやってみたい!
美味しいお菓子も食べれるし!!
以上、生け花体験記でした。
ちなみに上写真は、ほんのりバラの味がするあんこが入った、なんとも奥ゆかしい和菓子!
美味しかったーー!
みなさんにとって、明日もいい1日になりますように☺️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?