人の過ちを指摘せずスルーしたら温かい気持ちになった

正論派の私はルールを破るのが嫌い

私は歩道を自転車で走る人が嫌い。自転車は歩道を走るのがルールなのに、うちの近所は車道が狭いこともあり(歩道も狭い)、自転車が歩道を走ることが多い。
そして、毎回イラッとする。

前から自転車が来ると、わざと歩道の真ん中を歩き、スマホを見て気づかないフリをする。そうすると、自転車は車道を通るか、私が通り過ぎるのを待つか、降りて歩道を歩くしかない。それを見て、私はニヤリとする。
でも中にはベルを何度も鳴らして私をどかそうとする人もいる。そして、睨んできたり、暴言を吐く人もいる。
そして私は嫌な気持ちになる。「ルールを破っているのはそっちなのに、なんで私が嫌な気持ちになるのか。怒」と。

ルールではなく相手のことを考えて行動してみた

今朝も、雨の中スーパーに行ったら、前から自転車が歩道を通って来た。いつもなら傘で顔を隠して気づかないふりをして真ん中を歩くのに、なぜか今日は自転車が歩道を通れるように角で待った。
すると、自転車に乗っていた高齢の女性は「ありがとうございます。すいません。」と深々をお辞儀をして通っていった。

心が温かくなった。

私がしたことで、誰かが感謝してくれた。そしてお礼を言ってくれて、譲って良かったと思った。

心の中の嫌な気持ちがなくなり、喜びが増えた

これまでは、
前から自転車が来てイラ1+気づかないふりをしてイラ1+暴言吐かれたらイラ10=イラ12

でも今日は、
自転車が前から来ても10秒待てばいいやイラ0+待てた自分に喜び1+感謝される喜び30=喜び31

全然結果が違った。
人の行動の過ちを指摘してイラつくか、それをスルーしてときには感謝されるか。

これで感謝されることを目的にしてしまったら、また違うイラつきが出てしまうのだろうけど、スルーすることで、嫌な気持ちが減るなと気付いた。

正論でいることが幸せなことではない

これまで、正論が大事と思っていたけれど、譲ることで嫌な気持ちが減って、温かい気持ちになることに気づいた。

心の栄養を考えてみたい

今朝も、朝から子どもに、「着替えは?」「歯磨きは?」「片付けは?」いっぱい指摘した。

正論をぶつけて、言われる子どもも、言っている私も、聞いている他の家族も嫌な気持ちが増えていたと思う。

普段から、おやつを食べすぎると夕飯食べれなくなるから、スイミングスクールのアイスや、たまにのケーキもお腹いっぱい食べさせないようにしている。
でも、子どもにとって大事なのは、栄養たっぷりのご飯を毎日食べて規則正しい生活をすることではなく、がんばったスイミングスクールの後でアイスを食べることを楽しみに頑張ることだったり、土日にはダラダラ過ごしてみることだったり、好きなテレビを好きなだけ見てその話を友達とするだったり、心の栄養を摂取することも大事だなと思った。

まだ、ぼんやりしているけど、正論をぶつける前に、心がどんな気持ちなのかってことを考えてみよう。

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