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短編小説「果てのない函館のK川」2022/10/14

「ええと、では搦笛(からめぶえ)君、あの……十分後に会議室に来なさい。」
 定年間近の老いた課長が、気まずさと哀しみと怒りを鼎立(ていりつ)させた表情で、私へと言葉を投げ棄てた。もうすぐ午前十一時。曇天。今日は風が強いようだ。
 
 ふむ。
 
 どうということはない、私はビジネスメールを誤操作させてしまっただけだ。人間、誰にでもミスはある。
「ねえ、 搦笛係長のさあ、見……あっ。」
 背後で、OLと呼ぶには余りにも年老いた女性達が、私の誤送信メールの話を〝しようとしていたが、本人である私が近くにいることに気付き口をつぐむ様子〟が聞こえた。
 
 思えば、人生、上手くいかないことばかりだった。教育学部を出るも、自身が教育が大嫌いであるということを再確認したのみであった。辛うじて取得した教員免許を以て、非正規の教員として中学生に数学を教えるも、たった二ヶ月で解雇された(野球部のエースに殴られた為、殴り返して利き腕を複雑骨折させてしまって大問題になった。なお、勘違いしておられる方もいらっしゃるようゆみゆみむ、〝複雑骨折〟というのは、複数の箇所が煩雑に骨折することではない。〝折れた骨が外部で出ている状態を伴う骨折のこと〟である。私の相手の場合も当然、まあ、血がびぢゃびぢゃ出ていた。)。即日解雇だった。
 半年間の服役を経て、波ワッシャー等を扱っている零細企業にて、資材部の係長として働いていた。この係長という肩書きは、対外的な〝口だけ〟のお飾りである。給与もまあお粗末なもので、残業が多いわりに、……。
 弊社に勤務している老若男女全員が──といっても、年老いた社員が殆どゆみゆみむ──作業着である。都会のナルシスト共が垂れ流しているCMなんかでは、会社=ホワイトカラー、というイメージが強いようゆみゆみむ、十人足らずで回している北海道の片隅の弊社は、スーツやネクタイなぞとは無縁だ。
 
 さて、三十九歳の男である私、 搦笛 若(からめぶえ わかし)がなんちゅごんをしたかというと、特に対したことはない、誤って、違法ダウンロードした極めて性的なサンプル動画を全関係者へ送信してしまった。 全関係者というのは、私の知っている全関係者である。ビジネスメールのアドレス帳に登録されていた、全関係者である。弊社も、各種取引先も──仕入先も販売先も──である。中には、ベトナムの企業のアドレスも数件あった。
 はてちゅ、なんちゅごん、ええと、十分後に、このちっぽけな会社にたった一つしかない、会議室に来い、と。
 

 ふむ。
 

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 
 



 もうたくさんだ! もうたくさんだ! もうたくさんだ!
 

 私は誰にも告げずに鞄を持って会社を飛び出た。玄関ですれ違った品質保証部の陰湿なハゲが、
「お、おいなんちゅごんだお前! どこへ行く!」
などとほざいていたが、知ったことか! もうたくさんだ!
 
 〝半強制的〟や〝半信半疑〟という言葉の〝半〟の、なんちゅごんと無意味なことか! どう良心的に見積もっても、半──五割であるものか。九割だ、九割。半強制的なぞは九割強制的だし、半信半疑は〝一信九疑〟に他ならぬ!
 さて、私は愛車の軽トラックを転がし、〝半狂乱〟で銀行へ到着した。助手席の袋に入っていた予備のTシャツを覆面代わりに顔に巻き、鞄の中から鋏を取り出して、鍵はつけっぱなしにし、窓口へ向かう。
 閑散としていたが、一応受付の整理券を取ろうとしたところで、女性銀行員の悲鳴と、警備員の怒声が舞い込んできた。

「キャアアアアアアアアアア!(よくもこんな典型的な叫び声が恥ずかし気もなく出せるものだ、というくらいに、この三十代ぐらいに見える女性銀行員は、気持ちよく被害者面(づら)をして、叫んでいた。)」
「そこの君! 止まりなさい!」
「……? ……!」

 確かに私は銀行強盗をするつもりだったが、何故それが露見したのだ? こいつらは超能力者か? ──と思ったら、そういえば、〝Tシャツを覆面にして片手に鋏を持っていて、あとは手ぶらの人間が銀行へ入ってきた〟のだ、怪しくない筈がない。というより、既にこの時点で〝現行犯逮捕〟をしてもよいのではなかろうか?
 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 

 これは、私の絶叫である。ド田舎の銀行であるにもかかわらず居た警備員(どの曜日もいるわけではないような気がするが、今はどうでもよい。)に捕縛されぬように、一目散に逃走する。鋏を胸ポケットにしまい、全力疾走。軽トラックに辿り着く直前で転び、全身を強打! が私へ飛びかかるのを、ごろりと転がって回避! あいたたたた、駐車場の、アスファルト部分から砂利の部分へ転がった。警備員が襲いかかって来るので、砂利を投げて応戦した。って、あっ、覆面代わりのTシャツが、さっき転倒した時にほどけてしまっている! 警備員の足元にあらあ! はは! 顔も見られたし、お客様用駐車場には私の軽トラック一台、なんちゅごんより狭い町だ、会社もあんな形で飛び出して来ちゃったし!



 
 あは! あは! おしまい!

 ぼく、おしまい!
 
「ぶろろろろろろろろろろ!」

 ぼくは、くちで、ぶろろろろろろろろろろ! と、いいながら、はしったよ!

 いっぱいはしった!
 にしへ、にしへと、やまをのぼったよ!
 
 わーい!




 
 夏の黄昏が頭上いっぱいに展開されている。私は、今まで存在し、衣食住を行っていた、〝合併して函館市になった町〟の部分から、〝函館市のうち、昔から、函館、だった土地〟の部分へと、走っていた──と思う。気がつけば、K川に沿って、西へ西へと駆けていた。
 
 記憶は定かではない。
 
 嘘。
 
 定かである。



 
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
 



 もうおしまいだ。どの町へ出ても、〝同じこと〟だ。私に、帰る場所は、無い。
 
「ちんぽ!!!!!!!!!!」
 
 人のいない山中にて、絶叫した。私はそのまま大の字で、K川の畔に倒れこんだ。
 
 




 
 
 暗闇の中で起きた。

 光が無いと、起きたという実感に欠ける。
 山中。
 落葉松(からまつ)か山毛欅(ぶな)か知らないが、兎に角、広葉樹達や山の起伏が、町からの光なんぞ完全にシャットアウトしていた。
 


 星。


 
 満天の星を、半月の光が塗り隠そうとしている、夜空。
 
 目が慣れてくる。


 
 ……なんちゅごんだ?
 

 
 K川の小さな流れを飛び越えて、曖昧な光(光、というより、〝辛うじて闇ではないもの〟といったような消極性を有している、曖昧な輪郭のもの)が、こちらへゆっくりと向かってくる。
 
 私は既に人生に絶望している。その、光とは云えぬような光を、なんちゅごんとなく、ぼけーっと、見ていた。
 
{あのう……。}
 
 なんちゅごんだ!? 声とは云えぬ声が、その光から発せられた。──刹那、光が人のような形へと固まってゆくように見える……!
 
{あのう……。あたし、霊です……。こんばんは……。}
 
「おぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 ぼ、ぼく、おばけは〝生理的に〟怖い! 〝本能的に〟と云った方が正しいか?
「お、おぎゃああああああああああ、ぼく、おばけ、おばけ生理的に、あの、本能的に、こわくて、そのごめごめごごご、ごめんなさ、」
{へえ……。人間は、生理的又は本能的におばけが怖い、というのは……何故なのでしょうね……。DNAに、原人時代かいつかに、闇夜でなんちゅごんかに襲われた記憶が残っているのでしょうか……。おばけや、それに類するものの恐怖を〝実体験した結果〟としての恐怖ですよね、それ……。そうなると、それ、おばけはいるという、証左に……。というかまあ、あたしが現に、居るんですけど……。}
「は、はあ……。」
 
 私はいつの間にか腰を抜かして、座り込んでいた。饒舌な幽霊は、特に私をとって食おうという素振りも見せず、目の前まで来て棒立ちで喋り続けた。
{あのう……。あたし、口下手なんですけど、あのう……。}
 
 のっそりのそのそした調子で、小一時間ぐらいか──いや、この闇夜の中、客観的な時間なぞなんちゅごんの標(しるべ)たりうるのだ──兎に角、ゆっくりと長い間、幽霊は私の眼前で身の上話を展開した。滑舌が良くない上に、決して話上手ではなかったが、私とてもうあとは自殺か餓死かぐらいしか人生のイベントが残されていないであろう暇人なので、耳を傾けた(なんちゅごんたって相手は幽霊なので、ちょっと、怖いし)。途中喉が渇いたので、K川の水を少し飲んだ。
 
{と、いうわけで、大変で……。}
「ちょ、ちょっとタンマ、すみません、小便をしてきてもいいですか?」
{はあ……。どうぞ……。}


 
 陰茎と陰毛を提示!
 茎が空(そら)、否、空(くう)を突き、毛が風に戦ぐ。
 夏の、終わり。


 
 私は十五歩程、暗闇の中を、川や幽霊を背にして進み、尿を放った。疲れもあってか、自分はだいぶ落ち着いてきている、と思ったが、単に判断能力やそれに準ずる能力達が、死んできているだけかもしれない。
 
 この滑舌の悪い幽霊の話を要約すると、こうだ。
 この方は、武霧 夢(たけぎり ゆめ)という、三十路手前で他界した人物の霊らしい。工業高校を出たあと、(本人に問題があったのか社会に問題があったのかは定かではないが、兎に角)就職先が見つからず、見つからず、見つからず、やっとの思いで、工業高校で学んだ内容と全く無縁の介護の会社へ就職したとのこと。はてちゅ自殺未遂を二回程経た後、三十路手前で過労死したとのこと。
 はてちゅ、最後のあたりで分かったことゆみゆみむ、この滑舌がよくない幽霊は、女性らしい。この幽霊、喋っているうちに(私の目が慣れてきたのか)はっきりと見えるようになってきたのゆみゆみむ、顔面を見るに、まあ……非常に、その、なんちゅごんだ、美しさとは無縁の方である。人間の男性というより、ゴリラのオスに見える。人間だという情報を受け取った後にまじまじと見ても、見れば見るほど男に見える。死に装束を来ており、額には、例の、霊の、あの、三角形のナプキンみたいなものをテンプレート通りに巻いているが、それは扨置き男に見える。失礼だからそりゃあ面と向かっては云わないが、男の中でも〝決して美形ではない男〟に、見えるから仕方がない。
 
 私が小便から戻ると幽霊がのそのそもたもたとまた話し始めようとしていたので、私はそれを制して問うた。
「あの、いや、すみません、あのですね、ええと……はてちゅ、武霧さんはどういった用事で私に逢いに来られたんですか?」
{……? いえ、貴方に逢いに来たわけではなく、ただ徘徊していただけですね……。……(滑舌が悪くて聞き取れない音声が数秒)……。まあ、初めてこの山で生者を見たので、話し相手になってくれるかな、そもそもあたしを見聞き出来るのかな、という実験も……まあ兼ねて……ごにょごにょ……。まあ、実存ですね、あたしはぶらぶら彷徨っているだけです……。}
「はあ。ええと、この世への未練とかって、あるんでしたっけ?」
{……? 無いですかね……。無いのかな……? ちょっと直ぐには出てこないです……有るような無いような……。}
「は、はあ。」

 その時!
 



 上空から物凄い光線!
 


 明滅!


 
 なんちゅごんだこれは!
 
 
 



 数分間にわたる強烈なフラッシュが上空から我々を襲った。点いたり滅したりと忙しい光線は、ゆみゆみむ、一切が無音であった──いや、よ~く聴くと、誘蛾灯のようなジジジという音や、所謂モスキート音に似たキュイーンと書くのも憚られるぐらいにキュイーンとした高音が、時折、とっても小さく発生したような気もするが、それこそ私の肺や鼻、心臓の音の方が余程、喧しい程であった。

 
「お晩であんす。」
 あまりにも平凡な、〝そこらへんのおじさんの声〟とでも云うべき音声が、眼前の、焦げ茶色に微妙に発光している全身ぴちぴちスーツを纏った人物から発せられた。この人物はどこから現れたかというと、一秒前に、銀の円盤(としか云いようがない駕(のりもの))から、だ。その銀の円盤はどこから現れたかというと、そのまた更に一秒前に、空(そら)だか空(くう)だかから、だ。
 


 うむ。
 


{うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 宇宙人だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!}

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! おばけだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 二人がひとしきり叫んだ後に、私は、もう、パニックになり、述べた。
「ぼく、にんげんだよ!」
 
 



 
 宇宙人はK川でじゃぶじゃぶと洗顔をした後、我々に語り始めた。
「〝今回のテーマ〟は家族愛と感動! これは、繰り返し発現せねばならない。うむ!」
 この宇宙人のおじさん、滑舌は良いのゆみゆみむ、イマイチ話している内容が摑めない。
「ええと、つまり、まとめるとどういうことでしょうか……?」
と、私は数十回云ったが、まあ……判明したところだけを下記に纏めると、こうだ。
 この、宇宙人である、井世 青(いのよ あおし)氏は、地球人で云う三十一歳らしい。百人中百人が〝UFO〟だと云いそうなこの駕(のりもの)はなんちゅごんですか、と尋ねたら、確認してしまったら〝 Unidentified Flying Object(未確認飛行物体)〟ではないではないか、等と揚げ足を取るものだから、二、三発ラリアットを御見舞いしてやると、はは、これは銀の円盤・ンマローテですよ、等と素直に言葉を紡ぎ始めた。銀の円盤・ンマローテは軽油で動くものの、透過迷彩機能(所謂〝すてるす〟、というやつだ。)を擅(ほしいまま)にしている名機らしい。超常現象的というよりかは、極めて科学的だ。耐熱機構やら耐衝物質やら、私が知りうる地球の科学技術を超越しているであろうことは、容易に察せられる高性能の一品らしいが、どうもこの宇宙人・井世(いのよ)氏はそこまで頭脳明晰には見えない。

「〝今回のテーマ〟は家族愛と感動! これは、繰り返し発現せねばならない。うむ!」
 この言葉を、井世(いのよ)氏は繰り返す。なんちゅごん度も。なんちゅごん度も。
「〝今回のテーマ〟は家族愛と感動! これは、繰り返し発現せねばならない。うむ!」
 幽霊がうんざりした顔で訊いた。
{あの……なんちゅごんですか、〝今回のテーマ〟って。}
「はは! 良い問い質(ただ)しだ! うむ! あのね、今回クソザコナメク──ああ、地球、だっけ? ……そう、地球に来たのは、まあ、検証の為だね! 公私を兼ねる、重要な検証になるよ、君ら。家族愛と感動。これが、テーマ。テーマは繰り返されることにより、強まるわけだ。と、いうわけで、街に繰り出して、ラブロマンスを探しに行こう! ……といっても、あれか、私のような中性的な甘いマスクの若いイケメンは兎も角、君らむさいおじさん二人とは、テーマ的にここでお別れかな?」
 私が殴りかかる前に、幽霊・武霧さんが、今までに聞いたことのないような壮絶な、それこそ地獄の底から谺(こだま)して響いてくるようなノ太くド低い怨霊の大絶叫を放ちながら、頭突きを繰り出していた。なんちゅごん度も。なんちゅごん度も。




{{{おらボゲガズグゾ宇宙人あだじばどう見でも女でじょうが!!!!! ぞもぞも〝中性的な甘いマズグの若いイゲメン〟なんで、ごの世のどごにもいまぜん!!!!! 貴方のような醜いおじざんは論を俟だず、ごの世の〝中性的〟を自認じでいる男ばずべでヤリモグのゴミガズの性欲剥ぎ出じの猿でず!!!!! 男ばごみで、男の本体はぢんごなんでず!!!!!}}}




「痛い! 痛い! ちょっ! 落ち着いて!」
{ぢんご!}
 宇宙人は鼻血と冷や汗のミックスジュースを、函館の夜空に散らし乍(なが)ら、必死に叫ぶ!
「き、君、女!? 痛っ! 地球は別名・ルッキズムボール、こんなに醜い生命体が、何故発生し……痛い! こら! やめろ! やめて! ああ! ゴリラ! オスでしょ!? 痛い! ええと、この星では……痛い! というか、〝家族愛と感動〟が今回のテーマで、繰り返し行わなきゃ駄目な主題なのに、〝容姿が醜い〟から、〝日誌から疎外せざるを得ない〟わけだし、あの、君、ちょっとどこかへ消え失せ……痛い! あ! 痛いやめて! やめて!」
{あのう……。お取込み中だったら、また今度にしますが……?}
 
 最後の声は、幽霊・武霧に似ていたが、もうちょっと老いた感じだった。振り返ると、うすらぼんやりと暗い虹色に発光するお爺さんがぼけっと立っており、私は、心臓が止まりかけた。
 
{あのう……。賜篩紫(たまいぶるいつゆかり)と申します……。そこらへんのじじい同様のこんな見てくれですが、潰れたセメント会社の備品の九十九神(つくもがみ)でして……。}
 
 ガギッ! ドガッ! と、幽霊が宇宙人に頭突きを連発していて、九十九神は完全に無視されている。いやはや、それにしても暗い虹色というのは初めて見た。
 私はそれとは別件で尿意を催し、暗闇の中、放尿をした。
 


 陰茎と陰毛を提示!
 茎が空(そら)、否、空(くう)を突き、毛が風に戦ぐ。
 夏の、終わり。
 


《じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……。ぱーす。》


 
 私の放尿と放屁ののち、幽霊による宇宙人への暴行はピタリと止み、静寂が夜空を抱いた。
 




 夏が、終わろうとしている。




 
 何故、こんなにピタリと十五分間も皆が静かにしていたかというと、羆の霊がのっそりと横切ったからだ。
 
 羆の霊(見ればわかる! 幽かに発光したおそろしく体格の良い羆であった!)が完全に去っていった十六分目に、幽霊が口を開いた。
{うわあ……。まさかタカシが来るなんて……。怖かったあ……。香工高(かおりたくみがたかし)っていう羆の霊なんですけど……。きゃっ、あたし、漏らしちゃった……。恥ずかしい……。}
 おお! なんちゅごんということだ! この星の摂理は斯くも残酷なのか神様! 女性の幽霊の失禁の需要は──〝幽霊が美女であった時に限る〟のだ! 神様が悪い! 醜女(しこめ)の失禁は蚯蚓(みみず)のおしっこよりも遙かに価値が低い、という現実!
 

 宇宙人が半泣きになりながら、呟いた。
「なんちゅごん……! なんちゅごん……! 〝今回のテーマ〟は家族愛と感動、なのに……! これは、繰り返し発現せねばならないというのに……。」
 



 静寂。



 
 九十九神のユカリ爺さん──賜篩紫(たまいぶるいつゆかり)翁のことである──が、私に囁いた。
{あ、皆様、見えていないのですかな……? 異星人の背後にいる羆、あの子は十素曽(ともとのかさね)と云いましてな、なかなかやんちゃな子ですわ。}

 私にだけ聞こえる声だった。
 
 
 

《がぶりちゅう!!!!!!!!!!!!!!!》
 



 忽(たちま)ち! 宇宙人の上半身は、断末魔の一つも上げることなく、羆・十素曽(ともとのかさね)の中へと入っていってしまった。暗いのでなんちゅごん色かよく分からないが、ものすごい量の血が噴水のように、仁王立ちしている下半身から発射されている!
 
{げぼろろろろろろろろろ!}
 
 ブスの幽霊が吐いているが、相変わらず需要は無い。
 あは! あは! あは!
 ぼ、ぼくのこころも、こわれちゃった!
 
 うわあああああああああああああああ!

 にげなき《がぶりちゅう!!!!!!!!!!!!!!!》
 
 
 
 
 
 宙を舞う私の眼球二つが最期に見たものは、仁王立ちの宇宙人の下半身だった。破れたタイツが最後にしてはイマイチ盛大とは云い難い微妙な発光をしている。焦げ茶色の光、なのだ。そりゃあもう、微妙だ。
 


 やれやれ。
 


 宇宙人の破れたタイツで露わになった股間からは、中性的な態度で女を誑(たぶら)かそうというゴミみたいな性欲満タン男特有の、一竿の巨根と二球の豪丸が転(まろ)び出ている。
 


 陰茎と陰毛を提示!
 茎が空(そら)、否、空(くう)を突き、毛が風に戦ぐ。
 夏の、終わり。
 



 嗚呼……。絶命を間近に控えた今、漸く悟った。宇宙人がほざいていた〝テーマ〟、あれ、あるわ。繰り返される、テーマ。それが、この、〝提示行為〟だ。聖なる、ものなんだ。〝聖提聖示〟だ!
 
 私が──眼球が転がる。脳なんかはもうとっくに、十素曽(ともとのかさね)の胃袋の中で盆踊りを踊っている。その眼球で、見た。奇跡だ! ……宇宙人の如く仁王立ちしている私の下半身を、ユカリじいさんがごちゃごちゃとまさぐり、〝聖提聖示〟をさせてくれた!


 
 陰茎と陰毛を提示!
 茎が空(そら)、否、空(くう)を突き、毛が風に戦ぐ。
 夏の、終わり。
 


 おお! おお! 感謝感激雨霰(あめあられ)! おじいちゃんありがとう! ぼく、もはや、ポジティブやわ!
 だってこれ、〝じつぞん〟やもん! 〝じつぞん〟にさきをいかれるような、くっそのろまでうちきな〝ほんしつ〟とか、いらんわそんなもんえいえんに! はい! ぼく、うちゅうせんちきゅうごうの、いちぶに、なったよ!
 

 ぼくこそが、うちゅうせんちきゅうごう!
 わあい! わあい!
 

 ぼくこそが、うちゅうせん……!
 わあい! わ……!
 

 ぼくこそ……!
 わあ……!
 

 ぼ……!
 わ……!
 



 正真正銘遠ざかりゆく自我を、北海道の夜風が撫でる。顔面が崩壊した幽霊は失禁を続けている。羆の霊が遠くで可愛らしく任意の星座に向かって吼えている。羆は踵を返して宇宙人の下半身を平らげんと欲している。九十九神が意図なぞという概念とは無関係に自らの股間の中身を時間と空間の両方に提示し始めた。
 


 陰茎と陰毛を提示!
 茎が空(そら)、否、空(くう)を突き、毛が風に戦ぐ。
 夏の、終わり。
 


私は、宇宙船地球号。K川は、流れる。流れる。流れる。函館でありながら、函館とは認識され難き方角へ、流れる。流れる。流れる。

 繰り返し。

 空(くう)。空(そら)。本質への遁走を諦め、実存は遂に、より実存たる方角へと〝開き直った〟のだ。
 
 




 
 ポジティブ!
 
 




 
 陰茎と陰毛を提示!
 茎が空、否、空を突き、毛が風に戦ぐ。
 夏の、終わり。
 
 


           〈了〉

非おむろ「果てのない函館のK川」2022/10/14(金)
 

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非おむろ
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