餡子をみて思い出すこと
おはぎ特集を観ながら、そういえばあの時付き合っていた彼は赤福が好きだったなあ、と思い出した。伊勢物産展が街にくると必ず買いに行って、とても大事そうに食べていた。そう日持ちがするものではないけれど、一度で食べてしまわずに少しずつ、もったいなさそうに。その光景は目に焼き付いていて、思い出すのは窓辺から明るい日が差しての顔が影になる、あの瞬間だ。食べた後に目を細める彼の顔が目に浮かぶ。
それはまるで彼の人となりを表しているように感じてしまう。大切に、だけど近づきすぎないように。むしろ、ずっと大事にするために。彼は無意識に、人との距離を察する。天才だと思う。
それはもう、感覚的なもので、法則があるのでもなければ明文化することもできない。切れ切れにしか、こんな感じ、としか説明のしようのないものだ。理論をこねくり回してはドツボにハマる私は、彼のその感覚にとてつもなく憧れていた。私が考え、積み上げてきたものはなんだったのかと思うほどに、圧倒されるものだった。
彼は哲学者の言葉も、理論武装する必要もなかった。ONE PIECEのゾロのセリフ「災難ってのはたたみかけるのが世の常だ。言い訳したらどなたか助けてくれんのか?」。それを体現してしているような、覚悟の人だった。彼自身の性質と、我慢せざるを得なかった環境が、彼をそんな風に強くした。強く、ある種の諦観と、穏やかさをもった彼を作ったのだと思う。
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彼と別れたのは夏だった。東京駅で、握手をした。絶対に忘れることなどできない、忘れたくもない、けれど思い出したくもない瞬間。私は何も言うことができなかった。言いたいことはあった。月並みだけどありがとうとか、元気で、とか、どうしてこうなってしまったんだろうとかごめんなさいとか。
背を向けて歩き出した。振り向くことはしなかった。後悔もあった、でも悩んで2人で決めたことに自信もあった。それから妙な清々しさも。
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あんこの和菓子を見ると思い出す。あんこの甘さに逆行の光。ぎらりと光る彼の存在は、ずいぶん遠のいたけれど、でもまだ、私を照らしている。
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