エミ

20代OL 毒親育ち 毒親/日常の憂鬱/カサンドラ

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最近の記事

クリスマスケーキの憂鬱

朝ごはんとしてクリスマスの残りのケーキを食べる。このケーキも不憫だ。一昨日なら綺麗なお皿に並べられ、丁寧にドリップされたコーヒと共に一口ずつ、おいしいね、と大切に消費されていた。しかし無差別に残り物になったケーキは、心が荒んだ私の朝食として、ありがたみもなく3口で飲み込まれた。

    • 成人式の憂鬱

      成人式、卒業式、結婚式。◯◯式に出席できるということは「そこまでの人生が最低限、人並みにこなせていたか」の指標になっている気がしてならない。大学の卒業式には無事晴れ着で出席し、大学生活が肯定された気がした。次は結婚式。これもやる気がない。また一生、自己否定を続けるのだろうか。 私が成人式に行けなかったのは、成人式に行くことを自分の意思で拒否した姉との“平等”を保つため。私は禁止されたわけではなかったが、何事も悪い事までも姉に倣わなければいけない圧力はすごかった。失敗とわかっ

      • 姉が家を出て

        姉が家を出てからうちはもっぱら平和だ。みんな穏やかで、家庭崩壊のドラマのように凄まじかった子ども時代を取り戻すかのように過剰に甘やかしてもらっている。愛されて育つとはこういうことなんだな。こうして育っていれば今こんなに不幸ではなかったかもしれない。未だに発達未自覚な姉が憎い。

        • 幼児に大人を強要すること

          幼少期「いいよ。えらいね。おいで。」など上から目線になりがちな言葉を使うと厳しく叱られていた。 悪い意味ではないはずなのに言葉を発すると叱られる。 自分の気持ちを伝える語彙をまだそれしか持っていないのに。 常に自分が悪いことを言っていないか不安になり、人との関わりが怖くなっていった。 そんな幼少期を送ったせいか、小学生の初めはとても静かな子だった。 年相応に思いのままコミュニケーションを取る同級生に”失礼な子供“と嫌悪感まで抱いてしまっていた。 私は挨拶をするにも

          明けました憂鬱です

          初詣でのおみくじ。吉だったが悪いことばかり書いてあった。おみくじなんて気にするつもりは全くないが、振り返ってみればその時からメンタルの調子が悪い気がする。やっぱり引くんじゃなかった。一緒に引いた人は2年連続で凶だがおもしろそうに読み上げ、結んですぐに忘れてた。

          明けました憂鬱です

          心の無痛症

          毒親に耐えながら二十数年生活してきたから、嫌な上司や局に対して何も感じない。 就活も圧迫されても顔色ひとつ変えず対応し次々と希望する大企業の内定を獲得した。 一見、苦労が報われた良い結果のように聞こえるが実は大問題である。 毒親と上手く生活するために心の痛みを感じる能力を失ったということ。 心の無痛症。 何が悪いかといえば、知らず知らずのうちに致命的なストレスを受けているが、そのことに自分が気がつくこともできなければ顔にもでないということ。 嫌な人も嫌なこともあり

          心の無痛症

          人を好きになりたい

          小1のとき。 初めて通知表をもらい友達と見せ合いながら帰った。お互い良い評価の項目が違い褒め合いながら楽しく帰った。 帰って母にその話をすると目を充血させ、恥を晒すな!どうしてAちゃんより下の項目を見せたんだ!と激昂した。 幼い私はよくわからないけれど、何かとても悪いことをしていまったことだけを理解した。 親によって、人は信用するな、相談をするな、弱みを見せるな見栄をはれ、でも自慢はするな、家の恥をさらすようなことは言うな、人を褒めてないで悔しがれ。 という教育を幼少

          人を好きになりたい

          過保護の呪い

          20代半ばだというのにウーバーで好きな食べ物が来るとわかっていても、インターホンが鳴ると心臓がドキドキしてこわい。電話が鳴っても同じ。なぜだろうと考えた結果、おそらく過保護すぎた親が起因している。すべてを親のせいにする気はないが、 危ないからインターホンは出ちゃだめ。電話も出ちゃだめ。そう言われるうちに恐怖心が植え付けられてしまったのだと思う。 ”親の子を守りたい”という気持ちには感謝したいけれど、過保護は成人後の生きづらさまでも生んでしまう。 自分は子育てをすることが

          過保護の呪い

          小さな私を抱きしめたい

          私には姉がいる。 診断こそされていないが彼女は発達グレーだと確信している。 私は姉妹として近い距離で被害を受けていたので小学生の頃には疑い中学生では確信していた。 助けを求めたく両親に伝えるが、 それを伝えるたびに「人にそんなことを言うものじゃない」と怒鳴られていた。 両親は認めたくなかったのだろう。 親族にもそれらしいことを言われてしまったこともあり仕方なくだろうか。 認めてくれたのはここ数年でのはなしだ。 ここからは幼少期の話。 発達グレー姉とHSP母との相性は

          小さな私を抱きしめたい

          毒親という言葉を知って

          毒親という言葉を知ったとき衝撃が走った。 私は日常的に虐待されていたわけでもなければ、家は裕福で何不自由なく与えられて育った。 しかしずっと生きづらく、辛かった。 ”毒親“この言葉を知って、ずっと感じていた辛さの原因が判明するのではないかと希望の光が見えた気がした。 「こんな思いをして育ったのは自分だけだ」 「誰にもわかりやしない」 この思いから解放されたと同時に、 いろいろと調べていくうちに自分も”解毒“したいと思った。 時折り思い出す毒親エピソード。 1人で抱

          毒親という言葉を知って