人の言葉だと思わなければ受け取るものが変わる
他人の言動に影響されやすい人におすすめしたいことのひとつに、〝人の言動や出来事の捉え方を変える〟というものがある。
若い頃と、今(アラフォーでございます)では、お世話になっているオンラインサロンで学んだことによって、いつの間にか変わったなという感覚があることに気づく。
それは、いつもできるわけではないけれど〝目の前の人が発する言葉や行動が、その人自身の意思で発してるとは限らない〟という解釈で捉えるようになったことによる。
・目の前の人がイライラして怒りながら発する言葉。
・理不尽に怒られている時。
・身近な人がいつも言わないことを不意につぶやいた時。
たとえば、上記のような時は、「もしかして、その人の背後にいる神様が何か伝えようとしてくれているのかな?」という視点で仮にでも捉えてみると、、
・イライラしてるということは、、「空間が乱れているからもっとととのえなさい」というサインかもしれない。
イライラが言葉に乗ってはいるけど、確かに一理ある。
・理不尽に怒られて、感情的に言い返して場を乱す癖があるとしたら、「今までとちがう言動を選んでみなさい!」と変化と成長のチャンスをくれているかもしれない。
・普段言わない一言は、「大事だと思ってるくせに実践できてないよ!今日からやろうね!」と言われているように感じたり、
背中を押してくれているのかな?という感覚になったりしたこともある。
最近ではこんなことがあった。
お昼時(13時前)に、とあるチーム内のグループチャットにポンッと流れてきたメッセージ。
「大変!あの時やってたことミスってた!○時までに書類まとめないといけないんだけど、行ける人誰かいる!?」というヘルプを求める内容だった。
私はちょうど思いがけず手が空いていたので、「行けると思いますが、具体的にどうしたらいいですか?!」と打ち返したが、、、反応がない。
おそらくその方のお昼休憩は終わり、他のメンバーの既読もつかない、、、。
なんとなくやることは分かる。でも細々したことは、その時作業していた2人に任せてしまってよく分からない。
だけど、分からないなりに、やれることはやるしかない!と、現場に行き、その場にいる人と相談しながら書類をまとめ、なんとか事なきを得た。
「え!?投げっぱなし!?どーすりゃいいの!」って以前なら、直接人に向けてしまっていた感情も、この出来事は神様の仕業なのかも?と解釈することで、フラットな気持ちでいることができた。
そもそも最後まで見届けなかったことによるミスから発生した作業だったこと、細々とした作業を把握できてなかったことから、
チームメンバーのやっていることに対し、普段から自分事として気をむけられていなかったことがまずかったのだと、気づかせてもらったように思うのだ。
少しずつでも、こういう解釈ができるようになってからは、人の言動に必要以上にイライラしたり悲しくなったりすることが減ったので、
他人の言動をダイレクトに受け取って傷ついてしまうことが多い人は
〝背後にいる神様の言葉〟に耳を傾けて、「もしかして○○と言っているのかも」と言葉や出来事の背景を感じてみることを提案したい。
私自身が陥りやすかった注意事項としては、「この人のこの言葉(行動)は、こういう意味だな!」と、1角度から意味付けしてしまうと、思い込みや妄念のワナにハマりやすいので危険。
あくまで「こういう意味があるかも!」くらいにして、他にも意味があるかもという余白を作っておくことがおすすめだ。