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0になるまでは

こんにちは。めるです。
11月が終わっちゃったね。

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頭の上の数字

TikTokやYouTube shortで見かける、頭の上の数字なーんだ!?ってやつ、ご存じですか?

色々な種類があって、なんの数字だろうって考察したり、実際答えに辿り着いてよっしゃーって喜んだり落ち込んだり。

そんなshortばっかり見ていたら現実でも数字が見えるようになりました

…と言っても現実世界に生きている私の場合は、実際に頭の上に数字が浮かんでいる訳ではなく数字を当てはめた時にしっくりくる数字を見ているって感じです。

私自身の頭上には数字は浮かんでいなくて(もし浮かんでいたとしても自分では見れない)、会ったりお話したりする人に対してその数字が浮かんできます。

君と会った時、何が見えるかな。

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未来の確証

今の私が見えている数字、それは
"あと何回その人と会えるか"を表しています。

現段階で見えている数字は多分、生涯で…ではなくある特定の年齢までに会える回数だと思われます。
私自身が想像できる未来の範疇での未来予測。

だからね、だいたい皆1桁

それを寂しいと思うか、また会える希望として捉えるか。

私としては、0になっていないのを見る度にその人との終わりじゃないって思ってよかった、と思えます。

もちろん0になっている人もいて。
それは会うまでのハードルが高かったり、逆に私の人生でもうこの人と関わらなくていいかと見切りつけたりした場合です。

でも大半がそうではなくまた会いたい人たちだから、そんな人たちの上の数字を見る度、安心しています

また会えるからいっか。
0じゃないから大丈夫。

そこに甘えるのもよくはないんですけど、私にとっては大切な指標となっています。

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終わりを意識しながら生きる

こういう生き方は、どちらかといえばマイナーなんじゃないかと思う。

この場所にあと何回来れるか。
この人とあと何回話せるか。
この人とあと何回ものづくりをできるか。
この食べ物をあと何回食べれるか。...etc

終わりがあるから、じゃあなおさら今を楽しまなくっちゃって思ってる。

終わりを考えて今を生きるのはちょっと寂しくもある。

人との繋がりでいえば、"またね"じゃなくて"さよなら"だから。
めちゃくちゃこの2つの言葉に敏感になってしまったなとも思う。
そしてまた会いたい人には、数字が0になっていない人にはおまじないの意味も込めて"またね"を言うようにしてる。

人生は思っているより一瞬で。

すぐ時間が経っていってしまうから。

1日1日を大切にするための私の方法。

君との数字が0になるまでは一緒に笑っていようね。 

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それでは12月最初のnoteは終わり。
本当は11月中にあげるつもりのものだったから、ちょっとだけ時間軸がおかしかったらすみません。
11月ね、このnoteを含め4本も書いたらしい。
書きたいことがいっぱいだし、吐き出しておきたい感情がいっぱいだった。

なのに11月までに書き終えると宣言していたはずの10月のnoteはまだ未完成なの、ちょっと意味が分からないね笑

好きな時に好きなnoteを読んでくださいませ。

それではまた次のnoteで。

める

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