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ブラジルで学校まで作り、銃撃戦をかい潜って家を2つ所有するようになった日本人34歳の女。

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のちに仲間であり大切な人生の友と認識するようなご縁、人間関係が育っていったその出会いは、

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思い返せば2006年頃、今から15年前を数えようかという、夜の新宿歌舞伎町でした。お店に入ればまずはコートを預けるような、丁度いまぐらいの冬でした。

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その女性は当時まだ20歳ぐらい、私は30歳ぐらいでした。

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当時は仕事柄内外お酒の席が多く、下戸にもかかわらず毎晩のように東京を中心に各地幾多のエリアで朝まで飲み歩く優秀な蕩児のような生活でしたが、

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東京でも一晩で数エリア飲み渡り、一つのエリアでも数軒の行きつけができるようになり、そのうちの一つとなる界隈では名が通った老舗と呼ばれるお店での出会いでした。

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私からすれば数え切れないほど多くのおねえさん、その中の1人であり、

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その方からすれば、数え切れないほどのお客、その1人ということになりますが、そうした中から夜の仕事をやめた後にも、人間関係としてこうして続くことがあるわけですので、不思議に思うところです。

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可愛らしい妹キャラで物静か、仕事としてはヘルプ専門(指名嬢が他の席に行っている間につく役割)のような立ち位置で、読書好きの哲学的で文学少女の一面もあり、エヴァンゲリオンが大好きなアニオタでもあり、

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ときに小さく説教を頂ける芯の強さもありながら、しかしどちらかといえば当時控えめで可愛らしく大人しい雰囲気だったような気がします。訳があって夜の仕事をしていましたが、

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あるときはお店を休んでいると思えば「今、一人九州で山籠もりしています」とか、

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あるときは「いま一人でバイクに乗ってベトナムを旅しています」「親には本当に勘弁してって泣かれてる」と付帯情報つきの連絡が来たり、

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あるいは仲間と出張中に「今日はどこいるの?」と夜の営業連絡が新宿から届き「福岡だよ。来る?」などと冗談交じり伝えると、夜の仕事を即切り上げて羽田に向かいそのまま最終の飛行機へ飛び乗ったとは私たちは知らず、到着した空港から「来ちゃった」と連絡してくるような破天荒と言ってもよい行動力も秘めている方です。

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そうこうしていると今度は「ブラジルに来た」そして「ここに住むことにする」と連絡が来るようになります。アンテナの感度がよく、高校は有名な進学校という地頭もあるのだと思いますが非常に頭のよい方で、ブラジルの文化に留まらず在ブラジル日系企業の動向、ブラジルの政治と政局にまで話題は及び、多くのご教示を頂いて来ました。

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そうこうしていると、ブラジルの野戦病院のようなところで二人、子供も産んで、

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ある年の年始メールには「あけましておめでとうございます。起きたら家の前が洪水だ」と迫りくる濁流を家の中から撮った写メを送ってくれたり、

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「今子供たちとキャンプ来たよ」と添付された写メを見ると、下の子を背中に背負いながら、どう見ても原住民の方がアマゾン秘境のさらに奥地で水着なのだかパンツなのだか分からない半分お尻も出したような原始的姿で生活しているような様相のアウトドアを楽しんでいたり、

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「いつも行くパン屋さんに、さっきマシンガン持って入っていく強盗団見た」や「最近近所で銃撃戦が増えた」と日本ではしない会話を聞き、

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「仲が良い向かいの少年が撃ち殺された」というようなことが日常のようなところで、

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今度は知らぬ間に会社や学校まで立ち上げ、少しずつ雇用や生徒も増やして、しかし苦労も多かったであろう中で見上げた根性だと感服しながらどうやら順調な様子に一安心していると、突如一時帰国したと思ったらイスラエル人夫婦の医師ととある西日本の山奥で福祉活動をしてみたり、別の一時帰国では一献もらったり、キャバ嬢同窓会の様子を兄に知らせるかのように写メをくれたり年月が過ぎていき、そして今年のコロナにより会社や学校を6月頃に畳んだと聞いていたところ、身近な方々とは特段に助け合っていくのが基本と考えておりますので「困ったことがあれば何でも相談してください」と伝えてあった旨だけはスルーして何も頼って来ることもなく、

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今度はその会社や学校を「再開した」と先ほどやり取りで知り、昨日まで身を売っていた女性や、コロナで仕事が無くなった方々に仕事を提供し「家族で暮らせるようになりました」「これで年を越せそうだ」のような現地人々への貢献をし、さらにはなんと2軒も自宅を所有するほどになったとのことに、こう記すと剛腕でやり手な我が強そうなタイプに感じてきますが、むしろ真逆で、謙虚で礼儀正しく物静かな方です。

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これらを、今一度、簡素に確認をしてみるならば、

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日本からはるか遠く南米異国の地に立ったかと思えば、そこの野戦病院のような環境で子を二人も産み、そして育て、年始から目の前が洪水だったり、近所のパン屋には武装した者が入っていったりの中に、治安が悪化したときは銃撃戦が増え、夜に自宅のドアノブが「ガチャ、ガチャ」と誰かが開けようとしたときは「さすがに引っ越しを考えたい」と言っていましたが、強盗も多い世界トップクラスに治安が悪い街で生活し、秘境でキャンプしたりいつの間にかシングルマザーとして子供二人を逞しく育てながらたった数年で居を2軒も構えるほどに才覚もあり、たくさんの方々の生きる役、人生の役に大きく立ち、地域にも貢献し、なんたるすごい方なのか、もはや常人の域をとうに越えた立派な偉人ではないかと思った次第です。

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威勢がよかった派手目な姉さんタイプに見えた他の嬢は「NONちゃんわたしぜってー失敗しないから」とお客さんの中からスポンサーを確保して新宿で独立しお店を出すものの甘い世界ではないらしく華麗に散ったり、結婚して平穏に暮らしていたりの方が多い中に、あの一番静かだった女の子が、と思うと「人は分からない」「人生は分からない」とも思う次第です。

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そしてどうでしょう、おじさんこうして引きこもり気味に写真を撮って日々を過ごしているのが情けなく、恥ずかしくもなってきます。

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と思うのと同時に、話を聞くにつけ毎々生きる鼓舞をもらうようで、

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「もっとしっかり生きなきゃな」「まだまだ奮起せねば」「こんなことで疲れている場合ではない」と思わせられ、痛烈なパンチも頂く心境です。

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こうしてこの十余年不思議とご縁が続き、尊敬を深めるばかりですが、それを通り越えて段々と感服仕切りになってきました。

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そういえばこの方から聞いたことがない言葉があります。「変わってるって言われる」です。もはや度が過ぎて行きすぎて周りの人における「変わり者」の基準越えなのかもしれません。そんな女性が来年、子供の就学に合わせて帰国するとのことに、

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今の子供達はこのような大人っぽい曲が流行っているのかと驚きつつ、小学低学年で流行っているという菅田将暉 氏『虹』という曲をサンバのリズムに比べればだいぶ日本的だが今から日本にほんのり慣れるてみるためにも聞かせてみてはどうかと送ってみました。


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合わせて日本ではいまnoteというSNSが流行っていて、書籍化も散見される、やってみてはどうかと勧めてみました。

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この尊敬する女性の話題は毎々仲間へ共有するのですが、

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今般もさっそく共有してみれば、その結論は毎々

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唸りながら「すごい」となり、おじさん達もがんばろう、ということに行きつくわけでして、

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書籍化されれば、より広く多くの人に勇気と活力を共有できる生命力あふれる人生なのではないかと思った次第です。

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来年の帰国とのことで、また一献頂けることを楽しみに。



今回送ってくれたブラジルの海を撮った写メです。明日ぐらいで削除しますが、ちょっと小さくして一時だけお借りして。コロナがこのようなときですが、この方に比べればすぐ近所へ「どうしても会いたい」と有難く言って下さる方がいて、一泊出張と相成りまして、空き時間に写真も撮ってきたいと思います。

ご覧下さり、御礼申し上げます。

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