どうして考慮しなければいけないのか。 私は偽善にすごく敏感だ。 自分が行う偽善行為に。 だから、行動で示すし しないと決めたことは絶対にやらない。 大丈夫? なんでもいってね? 心配だよー 本当に追い詰められた人は こんな言葉求めてない。 間にも倒れそうだから 肩を貸して欲しいのだ。 そして、肩を貸す覚悟もないのに 救えるなど思い上がらないで欲しい なのに そう行動されると私が立場ないじゃん いや、勝手にしてくれていいけど 私は全く同調する気はない。 あなた
長続きしている、夫婦、カップルは羨ましい。 どうしたらそうなれるのか 口々に『いいよね』とその秘訣を聞こうとする。 その中で 許せる相手を選んだ という言葉を聞く 私ははじめ、なるほどな…と思って それまでだった。 全く何も分かっていない。 相手を許せるとはどういう事なのか 殴られても許せる、がそうなのか 裏切られても許せる、がそうなのか 許せたらそれでいいのか。 違う。 本当の意味は、 人同士なら感じる『ズレ』に折り合いをつけられる程想える相手なのか という
『写真』に触れたきっかけ そこに自分だけの世界があったから そこに感謝と感動があったから そこに『写真』の師匠が居たから 同じ『写真』を志す方々でも 様々なきっかけがあってシャッターをきる そこに答えは無くて 百人百様 日常に転がっていて たまたま拾い上げた 手にとって、すべてがはじまる
11月ともなると、一斉に話題は年末の話になる。 『今年も1年もう終わりだね、早いねー。』 そんなことを言って、もう気づけば年末なのだろう。 瞬く間な1年を写真で作品化する。 10月の末、スタート。 鬼が出るか蛇が出るか。 期待と不安が自分の中で混ざりあっているが、 『楽しんで届けよう』 この言葉を胸に取り組もうと思う。