【コラム】世の中はシンプルにできている気がする
こんにちは。のんびりです。
前回に引き続きコラムが続きます。。。
ちょっと私用の方がまだまだ多忙で開発の方に手がつかない状態です。
大丈夫です!クリエイティブな活動はしています。それが開発じゃないだけです!
最近、こんなつぶやきを見かけました
「自分よりも努力していない人が台頭するのが許せない」
このつぶやきを見たとき、少しだけ確かにと思ったわけです。
一生懸命頑張っている分、報われたい。自分よりも一生懸命やっていない人が自分よりも報われているのを見ると「ずるい」という気持ちが出てしまうのはだれしもあるのではないでしょうか?
これは創作活動だけにとどまらず、人間関係や仕事、世の中のすべてのことに通ずる気持ちのように感じます。
評価基準が自分ではなく他社との比較になってしまっているという自覚もあります。しかし、社会で生きていく中で人と比べないことがあるでしょうか?
人と比べて「自分が評価されない」と感じてしまったとき、いくつか考えられることがあります
比較する相手の運が良かった
相手は影で努力しており、自分の観測できていなかった
自分の努力が足りていないことに気づいていない
挙げれば、いろいろな理由があると思います。それは言ってしまえばどうしようもないことで、こういう劣等感的な感情は 自分が努力することでしか解決しません。
でも、本当にそれだけでしょうか?
ここで一つ、疑問に思わなければならないことがあります。
「自分の努力は正しい方向にむいているか」
「努力」と一言で言っても、その内容は人それぞれ異なります。
例えば、絵がうまくなることが目標で日々絵を練習している人(以下:A)がいたとします。
Aは毎日のように努力しています。
そしてたまに生まれる珠玉の一枚を SNS に投稿しました。
結果、思ったよりも反応を得られませんでした。
一方、SNSで交流することを目標として絵をうまくなろうとしている人(以下:B)がいたとします。
Bは前の人ほど努力はしていませんが、3日に1度はSNSにイラストを、もっと言うと推しのファンアートを投稿しています。
すると同じものを推している人から反応を貰え、交流ができるようになりました。
Bの投稿するイラストは決してうまいものではありませんが、A よりも反応を貰えているのです。
この話を見て、どう思うでしょうか?
たくさん反応を貰えるBの方が評価を得ているように見えるでしょうか?
実はそんなことはなくて、実はどちらも目的は果たしているのです。
つまり、努力に対する評価はどちらも同じように存在するといえます。
A は「絵がうまくなる」を目標としていたので「絵がうまくなった」
B は「SNSで交流する」を目標としていたので「交流が深まった」
ただそれだけのことなのです。
つまり何が言いたいのかというと、「自分が向かいたい方向に進んでいるのかを改めて見直した方が良い」ということです。
ここを見誤っている人があまりにも多く感じています。
「○○君と付き合いたいから可愛くなろう」ではなく「○○君と付き合いたいからアタックしよう」なのです(このたとえは少し強引ですが…)
以前友達に「向かいたい山」の話をされたことがあります。
自分の向かいたい山があったとして、別の山を登ってしまっていたら本当に向かいたい山にはたどり着けない。という話です
今まで人から評価されないとか、努力が報われない、と思っていましたが、実はそこに複雑なことはなくて、「目指す山を見誤っている」だけなのかもしれません。
もちろん、目指す場所は合っていたけどうまくいかないケースもあると思います。その山が自分に向いていないこともあるかもしれません。でも、登れば山頂には到達できます。登り続けていれば。
今おかれている自分の状況を分解して
「自分は何を目指しているのか?」
「努力の方向は合っているのか?」
見直してみたいと思います。
シンプルに考えればいいのです。