「悲哀の月」 第62話
数値が下がっていたものの、里奈の体に目立った変化は見られなかった。相変わらず倦怠感に体を支配され、咳が出続けている。
しかし、今はその状態でも光がある。
雨宮が制作してくれた動画だ。動画は、病院の計らいでタブレットに保存され、ベッド脇に置かれている。そのタブレットを操作すれば、いつでも見ることが可能だ。タブレットを持ってきてもらってからと言うもの、里奈は一時間に一度は動画を見て力をもらっていた。
(早く、健介と会えるようになりたいな。たくさん迷惑掛けてしまったから。その分、元気になったら頑張らないと。こんなにも力をもらっているんだからね。早く健介に恩返しがしたいわ)
動画を見る度に、里奈は退院後の日々を夢見ていた。今は試練の時だが、これを乗り切ればきっと幸せな日々が訪れると信じていたのだ。
だが、それは簡単ではなかった。
動画を見ようと体の向きを変えると、突然胸が苦しくなった。
(なに。これは)
今までにない症状に里奈は不安になった。胸を押さえ体を丸めると、途端に咳が出てきた。その咳も今までとは違う。強いものだ。
(何なの。これは。一体、どうなっているの)
タブレットを取ることをあきらめ、里奈はベッドで俯せになった。肩は激しく上下し、喉からは弱々しい息が漏れている。
その息もすぐに咳に変わる。まるで、内臓が口の中から飛び出ていきそうなほどの痛みが襲い掛かってくる。
(どうなってしまったの。私の体は。アビガンだってしっかり飲んでいるのに。どうしてこんなことになるの)
ベッドの中で激しく咳き込みながらも里奈は考えた。来生の報告によると、数値の方は少しずつ正常値に近付き始めたと言うことだった。体調に変化は見られないものの、医師の言うことだ。このまま快方に向かっていくと信じていた。
だが、里奈の体内に棲み着いているのは、コロナウィルスだ。世界中の人々を死に追いやっている。このウィルスを相手に、その考えはあまりにも浅はかだったようだ。まるで警告するように暴れ出した。
(嘘でしょ。まだウィルスは元気なの。いい加減にしてよ。私のことをどれだけ苦しめれば気が済むのよ。もう十分じゃない。一体、私が何をしたというのよ。もう自由にしてよ)
体内で暴れ出したウィルスに対し里奈は怒りをぶつけた。
だが、それは逆効果となってしまった。
更なる苦しみが里奈に襲い掛かった。咳は間断なく出続け、喉は焼けるように痛い。呼吸すらもままならない。あまりの苦しさに目からは涙が溢れ出す。
(もう嫌。こんな苦しみになんて耐えられないわ。どうしてこんなことにならないといけないのよ)
里奈は涙を流しながらコロナを呪った。
だが、体内に棲み着くウィルスは許してくれない。
容赦なく攻めてくる。
咳は止まらず、ついには呼吸も苦しくなってきた。
(もう駄目。限界)
あまりの苦しさに里奈は目を閉じた。それに合わせ、少しずつ意識の方は遠ざかっていった。
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