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「悲哀の月」 第73話

 集中治療室は緊迫していた。来生を始めとして何人もの看護師の姿がある。彼らは一つのベッドを囲んでいた。
 里奈が戦っているベッドだ。多くのチューブにつながれた先に置かれた装置からは間隔を置いて、機械的な音が鳴っている。里奈は時折、痰が詰まり苦しそうではあるものの、
 それ以外に目立った変化はない。穏やかな表情で目を閉じている。
「見ている限りだと、ただ寝ているだけに見えるんですけどね。死の淵をさまよっているわけではなく」
 里奈を見ながら沙耶が呟いた。
「そうね。私たちは元気な里奈さんを知っているから余計ね。目を開けてまた話し始めるんじゃないかって思っちゃうわよね」
 そう話しながら望はタブレットを里奈のそばに持っていった。そして、簡単な操作をし動画を再生する。
 モニタには、雨宮の作成した動画が再生された。雨宮の歌声に続き、知り合いの呼び掛けが続く。何度も里奈の涙腺を緩めた映像だ。
 だが、里奈に反応はない。目が開くこともなければ、数値は低いままだ。継続的な機械音だけが病室に響き渡っている。
(駄目か)
 モニタから目を逸らすと、来生は小さく首を振った。動画を見せることにわずかながら期待していたのだ。医療現場では稀に、絶望の淵に立たされた患者であっても、医学では説明の付かない奇跡が起こることがある。死の淵から回復し、退院していくのだ。来生は、そうなることを期待したが、今回は駄目だったようだ。里奈の容体に変化はない。こうなるともう希望はない。頭の中には、今朝撮影したレントゲンが甦ってくる。エクモを装着したものの、肺機能に改善は見られなかった。肺はほぼ全てが炎症を起こしている。コロナウィルスにより埋め尽くされてしまったのだ。今はより症状は悪化しているのだろう。
(申し訳ない。助けられなくて。若いからと言っても、重症化すると進行する速さは変わらないんだな。コロナは)
 来生はベッドで眠る里奈に目を向け詫びた。咳き込みはしていたものの、数日前まではしっかりと話していた。時折、笑顔を見せていたほどだ。そんな人をわずか数日で死の淵へと追いやってしまったのだ。コロナウィルスの怖さを改めて思い知っていた。


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